ヒストリー・オブ・バイオレンス

2006/02/17 シネマート銀座試写室
平凡な家庭の平凡な幸せを望んだ男の過去とは……。
暴力の中で生きる人間の悲劇。by K. Hattori

 トム・ストールは平凡な男だった。インディアナ州のちっぽけな田舎町で、食堂を経営する真面目な男。3年前に知り合って結婚した妻エディと、その連れ子を含めた4人で、町外れの小さな家に暮らしている。だが控えめで物静かなトムの生活は、ある事件をきっかけに一変する。閉店間際の食堂に二人組の強盗が押し入り、トムはとっさに相手の銃を奪ってふたりを射殺したのだ。トムは一躍町の英雄になり、事件は全国ニュースで広く報道されることとなった。それから数日後、トムの食堂を人相の悪い男たちが訪れる。彼らはトムに「ジョーイ」と呼びかけ、まるで昔からの知り合いであるかのように振る舞う。「俺はトム・ストールだ。あんたらは俺を誰か別の人間と勘違いしているんだ」と言うトムだったが……。

 常に「現代社会と暴力」をテーマに映画を作り続けている、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の新作は、ジョン・ワグナーとヴィンス・ロックの同名グラフィック・ノベルを原作としたスリラー。主演は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのアラゴルン役で知られるヴィゴ・モーテンセン。最近はすっかり物静かな役が多い彼だが、僕が最初に彼に注目したのはショーン・ペンの監督デビュー作『インディアン・ランナー』の粗暴な弟役だった。穏やかな表情から、突然稲妻のように暴力を爆発させる演技のスピード感は見事だ。

 この映画の中では、日常と暴力が何の境界もなしに隣接している。映画冒頭に登場する、モーテルでの殺人。そこでは泊まり客が部屋のカギを返すのと同じさりげなさで殺人が行われ、長距離ドライブのための飲み水補給の延長で人が殺される。この殺人に、派手な活劇の要素はまったくない。こうした日常と暴力のつながりは、映画の他の場面でも一貫している。食堂での一件もそうだし、その後の同様の場面も同じだ。殺人という「行為」そのものは、食事をすることや、セックスをすることと同じただの「行為」に過ぎない。しかし日常と暴力の間には、やはり途方もない距離が存在するのだ。その距離が何に由来するものなのかが、この映画のテーマかもしれない。この映画は暴力を、殺人を、あまりにもさりげなく描くからこそ、かえってそれらの行動の非日常性が浮かび上がってくる。

 日常と暴力の隣接という問題は、やがて主人公であるトム・ストールという男の中に集約されていく。息子に向かって「暴力では何も解決しない」と諭す彼の言葉に嘘はない。彼は暴力否定の平和主義者なのだ。しかしその男が、食堂に侵入した強盗たちから、暴力によって自分自身や従業員、客たちの命を守ったのも事実だ。そこでは暴力が肯定され、称賛される。暴力は否定されるべきだが、肯定されるべき暴力もある。ではこの映画の終盤にある大規模な暴力は、いったい肯定されるべきなのか? それとも否定すべきものだろうか? その区別は、映画を観ていてもまるでわからない。

(原題:A History of Violence)

3月11日公開予定 東劇
配給:ムービーアイ 宣伝協力:ミラクルヴォイス
2005年|1時間36分|アメリカ|カラー|ビスタサイズ|SDDS、dts、SRD
関連ホームページ:http://www.hov.jp/
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