ふたつの恋と砂時計

2006/06/08 シネマート試写室
「あしながおじさん」を現代韓国を舞台に実写化。
しかしこのオチは許しがたい。by K. Hattori

 タイトルはよく知られて普通名詞化していても、読まれていない小説は多い。ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん」もそんな小説のひとつだ。しかしこの小説が日本の少女漫画に与えた影響力は大きく、大ヒット作「キャンディ・キャンディ」や「ガラスの仮面」はそのバリエーションと言ってもいいだろう。日本では小説をもとに、アニメシリーズも作られている。しかし映画化作品はそれほど多くなく、1919年にメアリー・ピックフォード主演で作られた『孤児の生涯』と、1955年にフレッド・アステアとレスリー・キャロン主演で作られたミュージカル映画『足ながおじさん』が知られる程度。

 本作『ふたつの恋と砂時計』は「あしながおじさん」が原作だ。しかし原作の設定をそのまま現代に置き換えるのは無理があり、人物の設定や動機付けをかなりいじっている。さらに後半では物語に別の要素が加わって、メロドラマ調になっいく趣向だ。しかしこれが「あしながおじさん」なのか……。これが「あしながおじさん」なら、高倉健の『冬の華』の方がよほど「あしながじさん」に近いかもしれないぞ!

 映画には2つのミステリーがからむ。ひとつ目は、主人公のヨンミを秘かに支援している「あしながおじさん」は誰かという謎。もうひとつは、ヨンミが勤務先のラジオ局から下宿として借りた部屋の持ち主は誰なのかという謎。ただしこのふたつの謎は、映画を引っ張っていく力に欠けている。ウェブスターの原作ではヒロインのジュディが支援者である「あしながおじさん」に手紙を書くことで、主人公と匿名の支援者の間には強い絆が常に存在している。しかし『ふたつの恋と砂時計』では、匿名支援者の行動がいかにも場当たり的で、回りくどいものに思えて仕方がない。「ガラスの仮面」の紫のバラの人も回りくどいけれど、読者はその正体を最初から知っているので行動に不審を抱くことはない。でも本作の支援者は、やっていることが回りくどいくせに計算高いところもあり、ちょっとストーカーチックではないか。

 ラジオ局の放送作家をしているヒロインが、他人の書いたメールを勝手に開封して読んでいるのも嫌な設定だし、そのメールをもとに台本を書いて放送してしまうというのは無茶苦茶だ。彼女は善意のつもりなのだろうが、その善意の下には「メールの差出人が誰か知りたい」「メールの差出人の片想いの相手は誰なのか知りたい」という好奇心が見え見えなのだ。

 ふたつの謎が物語の中で合流し、ひとつに重ね合わされる場面はわかりにくい。こうした構成の物語では謎が一気に解消するところにカタルシスがあるのだから、観客がそこに至るまでにあれこれ考えたり推理したりする時間を費やさせるのはよくない。謎が解けた後の展開はまったく冗長だし、だいたい僕はハッピーエンドにならない「あしながおじさん」なんて観たくない。難しくても、最後は原作を尊重してほしかった。

(英題:Daddy-Long-Legs)

6月24日公開予定 シネマート六本木、シネ・リーブル池袋
配給:エスピーオー 宣伝:リベロ
2005年|1時間38分|韓国|カラー|ビスタ
関連ホームページ:http://www.cinemart.co.jp/sunadokei/
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