ザ・フォッグ

2006/07/07 SPE試写室
ジョン・カーペンターの同名映画をリメイク。
100年前の怨念が島の町を襲う。by K. Hattori

 ジョン・カーペンター監督の初期代表作『ザ・フォッグ』を、最新の技術とスタッフ&キャストで再映画化したホラー・ファンタジー。オリジナル版の脚本を書き製作を担当したカーペンター監督とデブラ・ヒルは、今回の映画にも製作者として参加している。

 オレゴン州アントニオ島のアントニオ・ベイは、漁業と観光が主要産業の小さな町だ。町が作られたのは19世紀半ば。町を繁栄に導いたのは、今も町民たちから尊敬されている4人の男たちだ。それから百数十年。彼らの銅像が町庁舎前の広場で除幕された日に、海から“それ”はやってきた。深い霧の中から現れたのは、百数十年前に海で殺された人々の亡霊。彼らは町の歴史から葬られた犯罪の哀れな犠牲者たち。現代に蘇った彼らは、自分たちを殺した人物の子孫に復讐し始める……。

 話は面白いが問題がある。それは事件から百何十年もたった今になって、なぜ町に亡霊が現れたのかという点。もうひとつは、なぜ亡霊は復讐を最後まで完遂することなく消えたのかという点だ。後者は物語の主役である、エリザベスというヒロインの設定にも関わってくる。彼女は亡霊たちにとって、復讐の対象ではなかったのか? 母親が復讐の対象なら、その子供も復讐されるべき対象ではないのか? 映画を観ていても、誰が殺されるべき人間で、誰が殺されるべきでない人間なのか、その区別がまったくつかない。これは亡霊にもその区別がつかないのか? それとも観客に対する説明不足なのか?

 映画を観ていると「町の英雄」たちが実際には何をやったのかは知ることができるのだが、町の人々が信じている彼らの英雄像については知ることができない。映画を観てわかるのは、「銅像になるような立派な人がじつは……」ということであって、彼らがなぜ銅像になったのかではないのだ。町民に信じられている虚像を提示し、その背後から実像が出てくるほうが、亡霊たちの恨みつらみの濃さがストレートに観客に伝わってきたのではないだろうか。

 結局この亡霊たちが求めているのは、「自分たちの過去を知れ!」という一点ではないだろうか。歴史を書き改めろとか、先祖の罪を子孫が被れとか、そんなことを求めているわけではない。復讐が目的なら、亡霊たちには百何十年もその機会はあったのだ。自分たちを殺めた犯人たちに、直接復讐することだってできただろう。しかし亡霊はそうはしなかった。彼らが海から島を目指したのは、島の人々が犯罪者を英雄に祭り上げ、その銅像を作ったからだ。過去を忘れるのはいい。しかし過去を葬ったその上に、間違った歴史を築くことは許せないというのが、亡霊たちの行動動機ではないのか。

 彼らは町の人たちに、町の歴史の欺瞞と虚偽を思い知らせた。彼らの復讐はそこで終わる。それで十分だったのだ。だが彼らがまた歴史を忘れれば……。“霧”は再び町を襲うだろう。そしてそれを止める人はもういない。

(原題:The Fog)

7月29日公開予定 シアターN渋谷
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2005年|1時間39分|カナダ、アメリカ|カラー|シネマスコープ|DTS、Dolby Digital、SDDS
関連ホームページ:http://www.sonypictures.jp/movies/thefog/
ホームページ
ホームページへ