アダム

―神の使い 悪魔の子―

2006/08/17 松竹試写室
子供を失った夫婦が我が子をクローン再生するが……。
面白い話だが焦点がぼけている。by K. Hattori

 不慮の事故で8歳の一人息子アダムを失ったダンカン夫妻は、天才科学者ウェルズ博士の助けを借りて息子を取り戻すことに成功する。それは禁断のクローン技術を使って、死んだアダムの細胞からもうひとりの新しいアダムを作り出すことだった。それから8年後。新たに生まれた子供は前の子と同じくアダムと名づけられ、すくすくと順調に成長していた。だが8歳の誕生日を過ぎたころから、アダムの身に奇妙な異変が起き始める……。

 クローン人間をモチーフにしたサスペンス映画だが、ここではクローン技術の詳細や限界、クローン人間がはらむ倫理的問題などにあまり触れることなく、もっぱらミステリー・ホラー風にドラマを進行させている。これは本作の新しさでもあるが、弱さにもなっている。この種明かしを成立させるためなら、何も「クローン技術」というキワモノを持ち出す必要はないだろう。もっとありふれた普通の体外受精を使っても、これと同じことは表現できたはずだ。(具体的なことはネタばれになるので書けないのだけれど……。)

 ただしこの映画は「クローン技術」というSF的な道具立てを使うことで、映画全体をフィクション(作り話)という「安全圏」に押し込み、観客の誰もが楽しめるエンタテインメント作品に仕立てているとも言えるのだ。これと同じことは体外受精でもできる。しかし体外受精は現在すでに存在する技術なので、そこにメスを入れた物語はきわめてリアルでグロテスクな日常の恐怖になってしまっただろう。映画を誰もが楽しめるエンタテインメント作品にするためには、クローン技術というギミックが打って付けなのだ。

 脚本には何ヶ所かの水漏れ箇所がある。物語の中で最大の穴になっているのは、ウェルズ博士の献身的な態度に、ダンカン夫妻がまったく不信感を抱かないことだ。博士の目的が功名心や名誉欲だというのなら、話はずっとわかりやすくなる。億万長者である博士は夫婦を協力者として、自分の研究を完成させようとしているわけだ。しかしこの映画の中では、クローン人間の研究はタブーだとされている。博士は自分の研究結果を、どこにも発表できないのだ。博士の研究所が、この研究を秘かに事業化している様子もない。つまり博士がなぜ夫婦に協力しているのか、その理由がまったくわからない。この事態を、夫婦が不審に思わないのは不自然だ。もちろん博士の本当の動機は後に明らかにされるわけだが、それ以外に夫婦と観客を欺く別の言い訳がほしい。

 話のアイデアは面白いが、細部の詰めが甘くて最後まで大きな盛り上がりに欠ける映画になってしまった。キーバーソンであるアダムを演じたキャメロン・ブライトがあまり可愛くないのも、感情移入をそぐ結果になっていると思う。『ウルトラ・ヴァイオレット』にも出ていた子役で、上手いのはわかるが可愛くないのだ。この役が文句なしに魅力的なら、映画はずっと盛り上がっただろう。

(原題:Godsend)

10月公開予定 新宿トーア
配給:ザナドゥー
2004年|1時間42分|アメリカ|カラー|シネマスコープ
関連ホームページ:http://www.adam-movie.com/
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