Sad Movie

サッド・ムービー

2006/08/18 GAGA試写室
男女のさまざまな別れを描く涙のラブストーリー。
残念ながら僕は泣けなかった。by K. Hattori

 人間同士の出会いに別れはつきもの。しかし世のラブストーリーの多くは、「出会い」に比重を置いて「別れ」をあまり描かない。「別れ」をテーマにした映画も、その多くは話の前段階として「出会い」を描いているのが普通だ。しかしこの韓国映画『サッド・ムービー』は、男女の「別れ」のエピソードだけに特化したラブストーリーになっている。しかもその別れが4組も描かれるのだ。たったひとつの「別れ」でも悲しいのだから、この映画は悲しさ4倍。メロドラマ王国韓国の真骨頂を発揮して、これはすごく泣けるメロドラマ巨編になりそうな企画だ。しかも登場する俳優たちは、『私の頭の中の消しゴム』のチョン・ウソン、『猟奇的な彼女』のチャ・テヒョン、『箪笥』のイム・スジョンとヨム・ジョンア、『ラブストーリー』のイ・ギウ、『甘い人生』のシン・ミナなどかなり豪華だ。

 しかし残念ながら、僕はこの映画にちっとも感動しなかった。個々のエピソードの掘り下げが浅くて、感動が4倍になるのではなく、かえって個々のエピソードの感動が4分の1に薄まっているように感じた。映画1本分の時間の中に4つの物語が埋め込まれていることで、それぞれのエピソードに使える時間は通常の半分以下になる。(普通の映画でも主人公たちのエピソードと並走して、別の人物の物語が同時進行していくことがあるので、正確に4分の1になるわけではない。)必然的にひとつのエピソードに盛り込めるドラマは少なくなるので、そこにどのように話を展開していくのかというアイデアと構成力が問われるのだ。

 結局ここで作り手に求められるのは、映画に登場する人物たちそれぞれの人生から、どの瞬間を「スライス・オブ・ライフ(人生の断片)」として切り取るかというセンスだ。長編映画でも短編映画でも、名作と呼ばれる作品にはすべて、その人物の人生が数分間か数十秒に凝縮されているような決定的瞬間が描かれていて、それが観客にとって忘れがたい印象を残す名場面となる。だがこの『サッド・ムービー』に、そうした場面はあるだろうか? そうした場面に向けてすべてのドラマが有機的に結合し、巨大な水流のように「感動のポイント」へと流れ込んでいく構成の妙味はあっただろうか?

 この映画は脚本を作る段階で、もっと入念に観客を感動させるための作戦を練っておくべきだったように思う。映画の中ではドラマチックな事件が起きるのが当たり前。「死んじゃってかわいそう」「別れちゃって気の毒」だけで客席が号泣するほど、世の中の映画ファンはお人好しではない。観客の涙を絞るためのポイントを設定したら、そこに向けて全体のエピソードを細心の注意で配置し、演出の力加減でその場に向けて観客を誘導していくことが必要。肝心のところでリアリティや説得力を欠いた描写をして、観客を白けさせるなどもっての外だろう。企画はよかったかもしれないが、完成品はチープだ。

(原題:Sad Movie)

11月11日公開予定 有楽座ほか全国東宝洋画系
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、ヒューマックスシネマ
宣伝:ギャガ宣伝【春】グループ
2005年|1時間49分|韓国|カラー|シネマスコープ|ドルビーSR・デジタル
関連ホームページ:http://www.sadmovie.jp/
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