地下鉄(メトロ)に乗って

2006/08/24 GAGA試写室
地下鉄の階段を上がるとそこは昭和39年の東京だった。
浅田次郎原作のファンタジー映画。by K. Hattori

 小さな下着メーカーで営業の仕事をしている長谷部真次は、40代の平凡なサラリーマン。父に反発して家を飛び出した彼は、入院している父を見舞うよう弟に言われても、どうしてもその気になれない。子供時代に父に反発して家を飛び出した兄の事故死が、真次の中で大きなわだかまりになっているのだ。そんなことを考えつつ地下鉄構内を歩いていた彼は、死んだ兄によく似た人影を見つけて後を追う。やがて地下鉄の階段を抜けた先にあったのは、昭和39年の東京だった!

 浅田次郎が1994年に発表した同名小説を、篠原哲雄監督が映画化したファンタジー映画だ。主人公が時間を超えて過去に旅するという設定はSFチックだが、タイムトラベルものとしては論理的整合性に欠ける部分も多く、これはやはりSF的な発想を借りたファンタジーとしか言いようがない。ハリウッドでリメイクされた韓国映画『イルマーレ』などと同じく、主人公の主観的な時間軸の中で物事が進行していく「心の旅」の物語なのだ。

 映画の大きなテーマになっているのは、父と息子の和解だ。これは今までに数多くの映画で描かれてきた、人間ドラマの普遍的なテーマのひとつと言ってもいいだろう。主人公は時空を超えた心の旅を通じて父と和解し、その結果、自分自身の息子との関係も修復される。しかしこの映画では、そこに男女の愛の物語が折り込まれているのがミソだ。ここで「父と息子との和解」という物語の中心テーマは、「親と子の和解」と「愛する人への献身」というより大きな「愛の物語」へと拡張される。

 物語の舞台は「現代」を起点として、主人公の兄が死んだオリンピック直前の昭和39年、終戦直後の昭和21年、そして戦時中へとさかのぼっていく。町並みや道行く人たちの服装がいかにもそれらしく、『ALWAYS 三丁目の夕日』とはまた違った昭和の風景を堪能できる。だが問題は、物語の起点である「現代」がはっきりしないことだ。

 主人公は昭和39年に中学生ぐらいだったようなので、生まれたのは間違いなく昭和20年代半ば。主人公の兄は終戦直後の生まれなので、この兄弟はちょうど団塊の世代前後にあたるのだ。主人公が2006年現在生きているとしたら、年齢は50歳代の半ばだろう。しか主演の堤真一は、まだとても50歳代には見えない。岡本綾演じるヒロインも昭和40年頃の生まれのはずだが、40歳以上には見えない。おそらくこの映画は、1994年に出版された小説の設定をそのまま映画に移殖したものであって、映画の中の時代は1994年のままなのだろう。(プレス資料によれば主人公の年齢は43歳。逆算すると生まれたのは1951年。ヒロインは1964年生まれで30歳ぐらいか。)

 小説の舞台が1990年代だとしても、それを「今」映画化するなら、まずは物語の舞台を2006年の「今」に移殖する工夫がほしかったと思う。

10月21日公開予定 丸の内ピカデリー2ほか全国松竹東急系
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、松竹、ヒューマックスシネマ
2006年|2時間1分|日本|カラー|シネマスコープ
関連ホームページ:http://www.metro-movie.jp/
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