2001年1月26日午後7時20分頃。JR新大久保駅のホームから酒に酔った男性が線路に転落した。偶然現場にいた男性ふたりが救出のためとっさに線路に飛び降りたが、3人とも折悪しくホームに進入してきた列車にはねられて死亡してしまった。救出のためホームに降りたのは、カメラマンの関根史郎さん(47歳)と、韓国からの留学生イ・スヒョンさん(26歳)。見ず知らずの人を助けようと命を落としたふたりだが、特に「日本人を助けようとして韓国人留学生が命を落とした」という点が脚光を浴びて、イ・スヒョンさんの死は日本だけでなく韓国のマスコミも大きく報じられたようだ。
それから6年。日本で死んだイ・スヒョンさんの生涯が、日韓合作映画として映画化された。プレス資料によれば、この映画は『実在のイ・スヒョンさんの心はそのままに、事実とは異なるエピソードを織り交ぜたのが、この映画の主人公イ・スヒョンである』とのこと。フィクションを織り交ぜるのは、この手の実録映画では常套手段。しかし日本の映画ではそうした場合、登場人物名をすべて仮名にするのが習わしだった。本作はそうした日本映画の習慣を打破し、モデルの名前をそのまま映画に登場させている点が新鮮だ。
日韓相互文化案内のような場面も多いが、それを割り引いてもそう悪い印象の映画ではない。青春映画としても、ホームドラマとしても、エピソードは粒がそろっているし、話の流れもさほど悪くはないと思う。物語の骨組みとしては、まあこんなものだろう。しかし残念なところもある。映画は2時間10分もあるのだが、そのわりにはストーリーの線が細くて、映画を見終わった後の充実感はそれほどでもない。
映画を観る人たちは、主人公の青年が列車の事故で亡くなることをあらかじめ知っている。ならばその「知っていること」は、映画の最初に出してしまった方がいいのではないだろうか。この映画を観る人なら誰もが知る「新大久保駅の事故」の場面を入口にして、青年がなぜ死んだのか、彼はどういう思いで日本に留学していたのかなどを掘り下げていった方が、映画の流れとしてはスムーズになるように思う。オープニングで思わせぶりにペンダントを出してみたり、事故前になると時計を出して観客をそわそわさせようとしてみたりしているが、観客は事故が起きた日時まで正確に覚えているわけではないのだから、これにあまり効果があるとは思えない。事故までの時間を示して観客をドキドキさせたいなら、映画の最初に事故が起きた日時を強く印象づけておくべきではないのかな。
ラストは泣かせるつもりの脚本なのだろうが、事故シーンに至る段取りの悪さも含めて、クライマックスは全体的に押しが弱い。感動の実話をちゃんと感動的に映画化しなければ、わざわざフィクションを交えた映画にする意味がない。脚本にもう一工夫欲しい。ちょっと残念だ。
(原題:26 Years Diary)