2007/02/01 早稲田松竹
たった一人の少女への愛に殉じた老人の物語。
主役がまったくの無言。by K. Hattori

 物語の舞台は海に浮かぶ1艘の釣り船。主人公はその釣り船の主である老人と、彼が10年前にどこからか連れてきて育てている少女。だが主人公であるこのふたりは、映画の中でただの一言も言葉を発しない。登場する俳優たちの心の動きを、無言劇で表現する仕掛けだ。新藤兼人の映画『裸の島』を連想させる実験だが、映画の中にはまったくせりふがないわけでもない。物語を理解するために必要な情報は、釣り船を訪れる客たちの会話として処理されている。

 キム・ギドク監督の映画はもともと台詞が少なかったのだが、『弓』はそれを極限まで突き進めたものだと思う。要するにこれは、サイレント映画なのだ。登場人物の感情は、すべて動作や表情で表現されている。そしてこれが、じつに濃密なのだ。映画の中には主人公ふたりを見守る形で、何人かの台詞のある人物が登場する。しかしその台詞が、なんとなく人物像を薄っぺらなものにしているように感じてしまう。この映画の中でもっとも雄弁なのは台詞がまったくない老人と少女であり、動作や表情が生み出すその雄弁さは、他のどんな表現も及ばないほど豊かなものになっている。サイレント映画が消滅して以来、映画文化の中から消え去っていたパントマイムによる芸術が復活しているのだ。

 物語は現代の韓国のどこかに設定してあるが、これは映画に登場する風俗が現代だからそう見えるだけであって、物語自体は世界のどの国のどの時代、少なくともアジアのどこかでありさえすれば成立してしまうようなものだと思う。映画に登場する結婚の儀式も、どの程度が韓国古来の風習に沿ったものなのかよくわからない。僕自身はこのふたりきりの結婚式の場面から、神話に登場する神々の結婚を連想した。あるいは歴史上最初の人間(聖書で言うならアダムとエバ)の結婚などだ。男と女とが互いに向き合って、それぞれの全存在が相手の前に投げ出される結婚の神話。プリミティブな力強さと、スピリチュアルな神聖さが入り交じった荘厳なシーンだ。

 タイトルの『弓』というのは、主人公たちが使っている短弓のことを指す。これは武器にもなれば、楽器にもなり、占いにも使われる。愛、暴力、性、過去、未来、命、死など、あらゆるものがこの弓の中に凝集されている。この弓が奏でる音楽の美しさ!

 水をモチーフにするキム・ギドク作品の中では、これまでで最大量の水が登場する作品であることは間違いないと思う。何しろ物語のすべてが海の上で成立しているのだ。キム・ギドクの映画では、水はいつでも罪を洗うものだ。ではこの映画の中で、いったい誰が罪人なのだろうか? おそらくそれは、主人公の老人だろう。彼の過去はほとんど説明されていないが、彼は少女の拉致以前にも何か罪を犯して海の上に逃げているのかもしれない。そう考えると、これは『魚と寝る女』の延長にあるドラマ。なるほど、釣り針が登場してドキリとさせられるわけだ。

(原題:THE BOW)

1月27日〜2月2日 早稲田松竹
配給:東京テアトル、ハピネット
2005年|1時間30分|韓国|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://yumi-movie.net/
DVD:弓
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