『リング』や『仄暗い水の底から』で現代社会を舞台にした心霊ホラーの世界を切り開いてきた中田秀夫監督が、ハリウッドでの映画製作(『ザ・リング2』)という経験をへて、今度は日本古来の怪奇怪談の世界を現代に蘇らせる。原作は幕末から明治にかけて活躍した落語家・三遊亭圓朝(えんちょう)の代表作「真景累が淵(しんけいかさねがふち)」。「牡丹燈籠」や「四谷怪談」と並ぶ、圓朝怪談の最高傑作と言われている大作だ。物語は「親の因果が子に報い」という因縁話だが、今回の映画は、結ばれてはならないカップルが周囲に不幸を振りまきながら、結局は最後まで運命の糸で結ばれ続けるというラブストーリー仕立て。主演は尾上菊之助と黒木瞳。菊之助は今回が映画初主演とのことだが、粋で色っぽい着物姿はさすが梨園の御曹司(父は菊五郎で母は富士純子、姉は寺島しのぶ)。凜としたたたずまいは出演者中でも別格で、何人もの女性が彼に惹きつけられるのも納得できるだけのオーラがある。
菊之助演じる主人公の新吉が、目の中に暗く冷たい光をたたえ、彼の背負った呪われた宿命と親譲りの冷酷さを感じさせるのがいい。物語の中で、新吉は決して女性に手荒なことはしないし、冷たくあしらうこともない。彼は目の前の女性たちを、誠心誠意、真剣に愛そうとしている。しかしそれによって女性たちが不幸になっても、新吉は意に介さない。呪われた宿命を振り払い、不幸をはねのけるだけの芯の強さが、新吉にはないのだ。彼は自分が背負った暗い宿命が女性たちを不幸にしても、それはそれで仕方がないことだと諦めてしまうようなところがある。それが彼の弱さであり、冷淡さなのだろう。彼は他人に対して冷淡なのではない。彼は自分自身に対して、自分の生き方に対して冷めているのだ。結局これは、自分自身を愛せない男が、その埋め合わせをするように周囲の女を愛そうとするが、結局はみんなが不幸になってしまうという話だ。
いっそ新吉が悪人なら、どんなによかったことか。それは新吉の性根の悪さだ、女たちは自業自得なのだと諦めも付くし納得もできる。だがこの映画の新吉を、悪人と呼ぶことはできない。彼は彼なりに、精一杯誠実に、実直に生きようとした。にも関わらず彼と女たちが不幸になっていくのは、やはり運命としか言いようがないのかもしれない。これは悲劇である。よくできた悲劇は、物語が破局を迎える前に主人公がそこから脱出できるであろう道筋を、丁寧に全部ふさいでいるものだ。本作もそれは徹底している。新吉が豊志賀に出逢った瞬間から、悲劇は始まるのだ。この悲劇は、ひょっとするとあらゆる男女においても起こりえる普遍的な悲劇かもしれない。親の代に起きた陰惨な出来事は、その普遍性を「因縁話」に閉じこめることで、観客を安全地帯に非難させる役割を負っているのかもしれない。