花蓮の夏

2007/08/29 CINEMART銀座試写室
高校を卒業した元幼なじみの青年ふたりとひとりの少女の物語。
同性愛の映画ではなく友情がテーマ。by K. Hattori

 台湾の片田舎にある海辺の小学校。落ち着きがなくクラスの厄介者だったショウヘンを心配した担任の先生は、おとなしくて成績のいい優等生ジェンシンに、ショウヘンのお目付役も兼ねた「友だち」になるように命じる。だがこれは、以前からショウヘンのことが気になっていたジェンシンにとって渡りに船の提案。ジェンシンとショウヘンは、こうして無二の親友同士になる。それから数年。高校生になったふたりは今でも親友同士。だが台北から来た転校生ホイジャがジェンシンと急速に接近していくことで、親友同士だったジェンシンとショウヘンの関係が大きく揺らぎだしていく……。

 ショウヘンに対するジェンシンの気持ちが同性愛的なものであることは、映画の導入部から観客に明らかにされている。しかしこれは思春期を迎える小学生の頃の話だから、ジェンシンの気持ちが本当に明らかになるのはそれよりずっと後の話。おそらく彼はホイジャとラブホテルに入ったときに、自分自身が同性愛であることと否応なしに直面することになったのではないだろうか。それまでも心の内で薄々は、自分のショウヘンに対する気持ちが「友情」を越えたものであることは自覚していたと思う。でもそれが「恋愛感情」であることを、ジェンシンは自分自身で必死に否定しようとしてきた。だからこそ彼は、ホイジャに誘われるままに彼女とホテルで一泊する。ホイジャと恋愛することで、自分のショウヘンへの気持ちが恋愛ではないことを証明したかったのかもしれない。でもそこで突きつけられたのは、自分がどうしてもホイジャの気持ちには応えられないという事実だった。

 物語はジェンシンの視点で進行していくため、「親友」のショウヘンが周囲の気持ちをまるで気遣えない、奥手の朴念仁のように見えてしまう。だがじつは、これが映画の狙いでもあるのだ。映画はジェンシンとホイジャの間にある奇妙な心の交流やすれ違いを繊細なタッチで描き、ショウヘンを物語の周辺部に追いやっていく。ショウヘンはスポーツとバイクに夢中な体育会系の筋肉バカで、彼の鈍感さの前にジェンシンやホイジャの気持ちは空回りするばかり。ところが映画の最後になって、ショウヘンのこの鈍感さが彼の切実な思いから生じていた精一杯の行為であることが明らかになる。

 映画の後半にあるジェンシンとショウヘンのラブシーンを観て、ショウヘンも同性愛なのだろうと「誤解」する人は多いと思う。じつは僕もそう思った。でもその後のジェンシンの対応からは、「ふたりはじつは両思いでした」という結末などあり得ないことがわかる。ジェンシンは同性愛者だが、ショウヘンはそうではないのだ。誰かに愛されるためなら、孤独にならないためなら、なりふり構わず何でもやる。ショウヘンの絶望的なまでの孤独感は切ないが、これはジェンシンにとってあまりにも残酷であろう。

(原題:盛夏光年 Eternal Summer)

11月公開予定 ユーロスペース
配給:マジックアワー
2006年|1時間35分|台湾|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.karen-natsu.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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