サラエボの花

2007/10/01 映画美学校第2試写室
ボスニア紛争で心身共に傷つけられた女性の今を描く。
戦争で負った傷はいつ癒やされるのか。by K. Hattori

 1992年3月に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の3民族が三つ巴の武力抗争を繰り広げた末、1995年末にようやく終結した。紛争前に435万の人口だった国で、死者が20万、難民(一時避難も含む)が200万以上というから、この戦争がいかにひどいものだったのかがわかる。「民族浄化」という言葉が一躍有名になったのもこの戦争だ。悪夢のような戦争は1995年11月になってようやく終わるが、戦争終結から12年たった今でも、人々の受けた傷が癒されることはない。

 物語の主人公はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに住む12歳の少女サラと、彼女の母親エスマだ。一家は母と娘の二人暮らし。サラの父親はシャヒード(殉教者)と呼ばれる戦争の犠牲者だというが、サラは別にそれを誇りもしなければ恥じもしない。戦争で家族を失った人は、クラスの中にもざらにいるからだ。それより問題なのは、サラの修学旅行費用を工面するため母が苦労していこと。サラは学校で「シャヒードの子供は旅行費用が免除される」と聞かされ母に伝えるが、母は必要な書類を用意することなく金策に走り回る。なぜ母は、必要な書類を揃えようとしないのだろうか? じつはエスマは、サラに伝えることができない重大な秘密を隠していた……。

 エスマが紛争中のレイプ被害者であり、サラがその末に産み落とされた父親のわからない私生児であることは、映画の序盤からそれとなく観客に知らされる。この事実を伏せて、映画のクライマックスで暴露すれば、それはそれで物語には大きなショックとカタルシスを作り出せたに違いない。しかしこの映画のテーマは子供の出生の秘密にあるのではなく、その秘密をひとり胸の中に抱え込んだまま生きる母親の苦しみの側にあるのだ。そのためには、観客がエスマの苦しみを共有しながら映画を観なければならない。

 彼女は娘のサラを愛している。その愛に偽りはない。だが同時にエスマは、娘を産み落とすに至った自分の過去を憎悪している。戦争は彼女から家族を奪い、夢を奪い、彼女の人生そのものを根こそぎ奪い取っていった。その苦しみや痛みは、今もなお癒えることなく彼女を苦しめ続けている。サラがエスマに向かって「私は父さんに似ている?」と問うシーンの、なんと残酷なことか。エスマはこの時、娘の顔を正視できない。愛する娘の顔の中に、自分を陵辱した男たちの顔を見出してしまうのだ。

 女性監督の作品だからかもしれないが、男性と女性の立場をやや紋切り方に描写しているのは少し気になる。例えば映画の中に暴力を持ち込むのは常に男性であり、女性は戦争の傷を抱えながら苦しみの中に生き、男性は戦争の傷から逃げ出そうとしているといった具合。しかしそんな紋切り型の表現に、俳優たちの生々しい演技が血肉を通わせている。サラを演じたルナ・ミヨヴィッチの表情がいい。

(原題:Grbavica)

12月1日公開予定 岩波ホールほか全国順次ロードショー
配給:アルバトロス・フィルム、ツイン 宣伝:アルバトロス・フィルム
2006年|1時間35分|ボスニア・ヘルツェゴビナ映画|カラー|ビスタ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.saraebono-hana.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:サラエボの花
関連DVD:ヤスミラ・ジュバニッチ監督
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