『ヒーロー・ネバー・ダイ』や『ターンレフト ターンライト』など、ハード・バイオレンスからラブ・コメディまで何でもござれの監督コンビ、ジョニー・トーとワイ・カーファイの最新作。今回の映画はコミカルな設定の中で超シリアスなドラマを展開するという、異色の刑事ドラマだ。
主人公はふたり。独自の神懸かりな捜査手法で抜群の検挙実績を上げながら、奇行がたたって警察を辞める羽目になり、今はひとりで私立探偵をしているバン。そんな彼を慕い、自分の担当している難事件解決への協力を依頼する刑事ホー。問題の事件は、数年前に犯人を追っていた刑事のひとりが行方不明になり、彼の拳銃で次々に事件が起きているというもの。不明刑事と最後まで一緒にいた同僚刑事が事情を知っていると思われるものの、何の物証もなければ状況証拠もないという手詰まり状態。ここにバンが呼ばれることになるのだが……。
とにかくバンの捜査というのが強烈に個性的。天井から吊した豚肉にナイフで斬りかかって格闘したり、トランク詰めになって階段から転げ落ちたりする。こうやって犯人や被害者の境遇と同化することで、天啓のように犯行時の様子や犯人像が浮かび上がってくるらしい。これだけ見れば一種の実証的プロファイリングのように思えなくもないが、バンの能力はそうした合理性を逸脱している。彼がやがて正気を見失ってしまうことは、映画の冒頭部分で観客にも明らかにされる。その彼に捜査協力を依頼するぐらいだから、ホーの捜査は完全に暗礁に乗り上げているのだ。困ったときの神頼み。溺れる者は藁をもつかむ。
バンの精神が病んでいるのか否かという問題は、この映画の中で考慮されることがない。なぜならそんな問題には、映画の最初からとっくに答えが出されている。定年退職する上司への選別として、自分の耳を切り取って差し出す男が正常であるはずがない。バンの精神は間違いなく病んでいるのだ。彼は現実を見ずに、自分の心が生み出した妄想を見ている。そしてそれは、彼自身が承知していることだ。彼は自分の知覚する人物や声の一部が、自分にしか見えていないことをよく知っている。問題はそうした人物や声が、どの程度「現実の隠された部分」を反映しているかなのだ。バンは自分の見る「鬼」たちが、現実の反映であると確信している。だがホー刑事はそれをにわかには信じられないし、ホー刑事の戸惑いや疑惑と共に、映画を観ている観客たちもバンに疑惑の目を向けるようになる。
映画を最後まで観ても、バンの見た事件の真相が本当に真実なのかどうかは不明なままだ。「やはりバンは正しかった」と考えるのは、観客の思い込みなのかもしれない。映画を観ながら、観客は自分の頭の中で物語を再構築していく。与えられた材料だけを手がかりに新しい物語を紡ぎ出そうとするホーの姿は、映画を観ている我々の姿でもあるのだ。
(原題:神探 Mad Detective)
DVD:マッド探偵(ディテクティブ)
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