2001年2月、FBIの現職捜査官ロバート・ハンセンがスパイ容疑で逮捕された。彼は旧ソ連時代からKGBに通じた二重スパイとして活動し、アメリカ側がソ連に送り込んだスパイの個人情報などをリークしていたのだ。ハンセンが売り渡した情報によって闇から闇に葬られた諜報員や協力者は50人以上。彼はFBIきってのソ連通、情報システムの専門家として他省庁にも大手を振って出入りし、FBIのみならず、CIA、NSA、国防総省、ホワイトハウスなどの極秘文書を入手していたのだ。彼はそれらの情報と引き替えに、百数十万ドルの現金や宝石を受け取っていたという。
映画『アメリカを売った男』は冒頭でハンセン逮捕当時のニュース映像を紹介した後、その2ヶ月前まで時間をさかのぼる。ここから映画は、FBIの捜査網がハンセンを追い詰めていく様子を克明に再現していくのだ。国家を裏切ったアメリカ史上最悪のスパイを追う、捜査員たちの緻密な包囲作戦。ハンセンの助手という名目で捜査の最前線に立たされるのは、エリック・オニールという若い捜査員だ。彼はこの映画の狂言回しでもある。しかし自分に捜査の手が伸びていることを薄々感じ取っているらしいハンセンは、なかなか尻尾を出すことがない。勤続25年の大半をスパイとして過ごしている手練れの強者は、そう易々とは罠に引っかかってくれないのだ。
これはスパイを捕まえる話であり、スパイは悪玉で、それを捕らえようとする側は善玉だ。仕事と同僚と国家を裏切っていたロバート・ハンセンは、誰がどう弁護しようと紛れもない悪党には違いない。しかしこの映画は、善が悪に勝利するという単純な活劇にはならない。むしろ悪であるはずのハンセンに、この映画はやけに同情的なのだ。それは映画の冒頭に、ハンセン逮捕のニュースを挿入していることで生まれた効果でもあるし、映画の随所に挿入されている小さなエピソードの数々も、観客のハンセンに対する同情心を喚起するよう仕掛けられている。
『観客はつねに、危険にさらされた人物の方に同化しておそれをいだく』と言ったのは、スリラー映画の巨匠ヒッチコックだ。相手が善人であれ悪人であれ、目の前に迫る危険や危機を知らぬままそこに接近していく人物に、観客は強い感情移入を行うのだ。ではこの映画で、最も大きな危険にさらされている人物は誰だろう。ハンセンの身辺調査のため、FBI上層部から部下として送り込まれたエリックだろうか? それとも逮捕が2ヶ月先に迫っているハンセンだろうか? 答えは明白だ。この映画の中で、薄氷の上を歩んでいるのはハンセンなのだ。エリックはいずれハンセンの尻尾をつかむだろう。FBIの特捜チームは、ハンセン逮捕に成功するだろう。それは映画の最初に、観客に約束されている。彼らは勝者なのだ。ハンセンだけが自分の運命を知らぬまま、破局に向けて最後の歩みを続けている。
(原題:Breach)