ポケットの花

2008/10/16 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(PREMIER)
第21回 東京国際映画祭
幼い兄弟と父親の関係修復をスケッチ風に描く。
全体の雰囲気がとても暖かい。by K. Hattori

 母親のいない家庭で父と暮らしている小学生の兄弟。ふたりとも学校の成績のあまりよくない落ちこぼれ生徒だ。特に弟の方はマレー語の日常会話すら苦手で、学校では教師との意思疎通すらうまくできないありさまだ。しかしそんな子供たちを、父親は放置放任状態。父は父で、仕事その他の雑事に追われて子供にまで手が回らない。夜遅く帰ってきた父は子供の寝顔を見て自分はソファで寝込み、子供たちはまだ眠っている父を横目に学校に急ぐ。家の中でもすれ違う家族。でもそんな暮らしが、この一家ではもうすっかり当たり前のことになってしまっている。

 映画の舞台になっているマレーシアでは、マレー人と中国系の人々が肩寄せ合って暮らしている。そのためこの映画のように、小学生がマレー語と中国語のバイリンガルで、役所からの通知は英語で届くというような状況が起こりうるらしい。

 同じ家の中で暮らしながらほとんど没交渉になっていた落ちこぼれ兄弟と父親が、再び親子としての絆を取り戻していくというのがこの映画の中心となる物語。兄弟が子犬を拾ってきて育て始めるエピソードや、その子犬を父親が捨ててしまうという話が、この映画における父親の「子捨て」を象徴しているわけだ。子犬は子供たちにとって自分たちの分身だ。誰からも顧みられることなく草むらの中で震えているそのチビ助を、兄弟は見過ごすことができない。しかし父親はその子犬を捨てる。雨のゴミ捨て場に、その子犬を放置してくる。父親は子供を捨て、その分身である子犬を捨てることで、子供たちとの関係を自ら断ち切ってしまう。映画ではこの後、子供たちの病気をきっかけにして父子関係が修復されていく。しかしドラマとしては、この子犬のエピソードが事実上のクライマックスだろう。

 主人公の兄弟はかなり過酷な環境で暮らしているのだが、映画を観ていてほっとさせられるのは、彼らが決して孤独でもなく、いじけてもいないということだ。兄弟の絆は確かなものだし、彼らと友だちになろうと接近してくるマレー人少女との交流も楽しいものだった。言葉がほとんど通じていなくても、子供たちはすぐに打ち解けて仲良くなる。この少女の家は兄弟の家とは逆に母子家庭らしいのだが、そこにはあまり深入りせずに、あくまでも脇のエピソードとしてさらりと流しているところは抑制がきいている。ここにあまり焦点を当てすぎると、物語のテーマが「兄弟と父の関係」から離れてしまっただろう。結果として少女のエピソードが途中で放り出されている感じもするが、ここはとりあえず物語のテーマに戻してエンドマークを付けたということだろう。兄弟と少女の交流は途絶えたわけではない。明日か明後日になれば、また彼らは顔を合わせて一緒に遊ぶかもしれない。でもそれは、この映画とは別の場所で語られるべき事柄なのだ。

(原題:Flower in the Pocket)

第21回東京国際映画祭 アジアの風/東南アジア・南アジア
配給:未定
2007年|1時間37分|マレーシア|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=95
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ポケットの花
関連DVD:リュウ・センタック監督
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