嗚呼 満蒙開拓団

2009/04/24 TCC試写室
中国残留孤児・中国残留婦人の悲劇はなぜ生まれたのか。
羽田澄子監督のドキュメンタリー映画。by K. Hattori

 中国残留孤児の肉親捜しが始まり、NHKの朝のテレビ番組でまだ再会できぬ肉親に涙声で呼びかける孤児たちの様子が放送されたのは1981年3月のことだった。この時点で既に、戦争が終わってから35年以上がたっている。1972年の日中国交正常化からも9年だ。「孤児」と呼ばれる人たちも既に30代半ば以上の中年男女だったが、この時来日した47人のうち30人の身元が確認できたという。来日した残留孤児の肉親捜しはその後も続けられ、戦後の混乱の中で中国大陸に置き去りにされた日本人の悲劇は多くの人の知るところとなった。本作は自らも満州からの引揚者だった羽田澄子監督が、残留孤児・残留婦人らを多く生み出した満蒙開拓団の悲劇に迫るドキュメンタリー映画だ。

 映画の中心になるのは、ハルピン郊外にある方正(ほうまさ)地区日本人公墓。1945年8月9日にソ連が参戦すると、国境近くにあった開拓村からは一斉に避難民が脱出した。彼らは日本に帰国する手だてを求めて満州内陸部の中心都市ハルピンを目指したが、途中の方正で足止めされて難民村を作ったのだ。その冬、寒さと饑餓と蔓延する発疹チフスのために数千人が犠牲になった。方正の日本人公墓は、その遺骨を拾い集めて作ったものだという。この墓地が作られたのは1963年。この後起きた文化大革命では紅衛兵に破壊されそうになったが、方正の人たちはこの墓を守り抜いたという。

 映画はこの公墓を軸足として、満蒙開拓団が生まれたいきさつや、ソ連参戦直後に起きた悲惨な逃避行の様子、残留孤児と養親との関係などを、生存者がちの証言を中心に描写していく。戦争なんて遠い昔のことだと思いがちだが、映画に登場する方々がまだお元気な様子を見ると、戦争は遠い過去の歴史ではなく、今もなお人々の中で生々しい記憶として生き続けていることがわかる。

 しかしこの映画が問いかけているのは、そうした「過去の悲劇」ではないような気がする。映画の中で方正の難民村から生存して帰国した女性が、「今でも薬害や沖縄の問題があるでしょう。同じです。他人事とは思えない」と言う場面がある。国は国民を守らない。国策遂行のためには平気で国民を切り捨てる。役人は自分たちの安全や利益を最優先し、一般市民を犠牲にしても何の痛みも感じない。そして困ったことに、こうした仕組みに日本人は慣れっこになってしまっているのだ。そして何度も何度も国や役人に騙され裏切られる。そして何度ひどい目にあっても、なおかつ「国が騙すはずがない」「国が裏切るはずがない」「役人がそう言うなら大丈夫だ」とすぐに信じ込んでしまう。

 満蒙開拓団が国に騙されたのなら、今この時に我々が国に騙されていないという保障はあるのだろうか? 満州に渡った日本人は終戦によって、自分たちの置かれている本当にありのままの現実を思い知らされた。我々が今後、同じようなありのままの現実を思い知らされないという保障はどこにもないのだ。

6月13日公開予定 岩波ホール
配給:株式会社 自由工房 宣伝:岩波ホール
2008年|2時間|日本|カラー|スタンダード
関連ホームページ:http://www.jiyu-kobo.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:嗚呼 満蒙開拓団
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