白日夢

2009/07/17 TCC試写室
1981年に同作に主演した愛染恭子が自ら監督して再映画化。
主演俳優が弱くて映画に芯がない。by K. Hattori

白日夢   警官として交番勤務をしている倉橋は、自分の担当地区で空き巣被害を受けたという千枝子に出会って、そこに運命的なものを感じる。数日後、たまたま訪れた歯科医院で看護婦をしている千枝子と再会したことで、倉橋の彼女への思いはより強いものになる。治療中に見た幻影の中で、彼は千枝子とひとりの女性を殺す共犯者になっていた。だが彼女はこの治療の直後、突然彼の前から姿を消してしまう。周辺から事情を聞いたところ、千枝子は勤務していた歯科医院の院長と不倫関係にあり、そのことを相手と妻に知られたことから勤めを辞めたのだという。それでも千枝子のことが気にかかる倉橋は、彼女の友人を訪ねるなどして彼女と再会することが出来たのだが……。

 物語を要約していても、じつはどんな話だったのかよくわからない映画だ。主人公の倉橋には白日夢を見る癖があり、それが歯科治療の麻酔の作用と合わさって、夢の女である千枝子と、彼女の不倫を巡る修羅場の三角関係が交錯していく。主人公の中で夢と現実が混沌と入り交じり、夢の中の殺人が現実になり、現実が夢を侵食し、夢が現実に置き換わる……といった話なのだが、映画を観ている最初から夢と現実の区別がよくわからない。映画のオープニングがラストにつながっているとするなら、この映画は全体が夢の中ということだろうか。それならエピソードの中に現実が入り込む余地はなく、これはすべて記憶と夢が混濁した妄想なのだと解釈することも可能だ。そう考えれば、映画の中にある矛盾や不具合はすべて解消されてしまう。

 映画なんてものはそもそも目が覚めているときに観る夢みたいなものなのだから、物語の中で妄想やファンタジーを描いたって構わない。しかしその妄想やファンタジーを視覚的に魅力的に描かない限り、「目覚めて観る夢」は映画としての力を獲得できない。例えばターセム監督の『ザ・セル』や『ザ・フォール/落下の王国』は妄想やおとぎ話についての映画だけど、圧倒的な映像美で観るものを驚愕させ魅了するだけのパワーを持っている。白日夢にふける男の話としては、ダニー・ケイ主演の『虹を掴む男』という古典もある。現実が白日夢に発展し、白日夢が現実を侵食していくという展開は今回の『白日夢』と同じだが、『虹を掴む男』は白日夢の内容にいちいち工夫があるから観ていて飽きず、今でもこの手のジャンルの古典となっているわけだ。

 では今回の『白日夢』に何らかの工夫はあったのだろうか? タブーを破るというのが、ひとつの魅力ではある。人間は心の奥深くに抑圧している欲望を、夢の中で開放させる。その代表は暴力とセックスで、この映画の中でも主人公は暴力(殺人)とセックスを夢に見る。ありきたりな発案ではあっても、これをきちんと映像として消化しさえすれば、この映画はそれなりに面白いものになったはずなのだ。しかし残念ながら、この映画に映像の魅力は感じられなかった。

9月5日公開予定 銀座シネパトス
配給:アートポート
2009年|1時間20分|日本|カラー|ビスタ|ステレオ
関連ホームページ:http://www.artport.co.jp/movie/hakujitsumu/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:白日夢
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