ペルシャ猫を誰も知らない

2010/06/10 松竹試写室
自由な音楽活動が厳しく制限されているイランを舞台に、
ロックに夢中な若者たちの姿を描く。by K. Hattori

Perusyaneko  かつてロックは「不良の音楽」と呼ばれた。フォークソングは「体制に抗議するプロテストソング」だった。ミュージシャンは反体制活動家であり、若者を鼓舞扇動する反社会的な危険人物だった。ビートルズは「騒音」扱いされ、アメリカでは焚書のようにレコードが燃やされた。しかしそんな時代であっても、ロックを聴いたり演奏しているというだけの理由で、警察に逮捕されることはなかったはずだ。音楽にしろ文学にしろ映画にしろ政治的な主張にしろ、それが世に公表された後でそれを批判非難するというのが民主主義の基本的なルール。音楽家に「演奏するな」「歌うな」と言ったり、作家に「書くな」と命じる社会体制というのは、日本人である我々の目から見るとちょっと奇異なものに見える。しかしそれを行っているのが、イランという国。本作『ペルシャ猫を誰も知らない』は、イランの若者たちがロックを演奏し歌うことの困難さについての映画だ。

 映画はセミドキュメンタリータッチのフィクションだ。自由に音楽活動ができる環境を求めて「ロンドンでコンサートを開きたい!」と願う若者が、周囲の人たちの協力を得ながらパスポートやビザを手に入れ、出国前に当局の許可を得てコンサートを開こうとする。このシンプルなストーリーに、イランで活動している合法・非合法の音楽家たちが多数出演して演奏を披露している。物語の大きな枠組みはフィクションだが、登場するミュージシャンたちはみんな本物。監督は『酔っぱらった馬の時間』や『亀も空を飛ぶ』のクルド人監督バフマン・ゴバディ。本作は彼にとってクルドを離れてテヘランで撮影した初の映画だが、結果としてイランの社会体制を厳しく批判することになった本作をきっかけに、彼自身もイランを離れることになった。

 結果としてこの映画はとてもシリアスで悲劇的な結末を迎えてしまうのだが、映画全体としては歌と演奏シーンがたっぷり詰まった極上の音楽映画になっている。コンサートを開くために主人公たちがイランの街を縦横無尽に駆け回る疾走感が、若者たちの押さえられない音楽への思いと響き合い、観ていてじつに楽しくてワクワクしてくるのだ。周囲に音の漏れない練習場所を確保するための、あの手この手の創意工夫。牛小屋で練習するシーンには、思わず笑ってしまった。

 この映画はイラン国内では上映できないそうだが、その理由はそもそも撮影自体が無許可で行われているのに加えて、イラン国内の若者文化をリアルに描いているためだろう。国がいくら上から押さえつけようとしても、若者たちは音楽活動を諦めない。イランは飲酒厳禁、男女交際に厳格なイスラム原理主義国家だが、若者たちはパーティに集まって酒を酌み交わしている。日本でもイラン映画は数多く公開されているが、この映画はそうしたこれまでのイラン映画が決して伝えることの無かった「本物のイラン」を見せてくれるはずだ。

(英題:No One Knows About Persian Cats)

8月公開予定 ユーロスペース
配給・宣伝:ムヴィオラ
2009年|1時間46分|イラン|カラー|1:2.35|ドルビー
関連ホームページ:http://persian-neko.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ペルシャ猫を誰も知らない
関連DVD:バフマン・ゴバディ
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