ルイーサ

2010/07/13 松竹試写室
真面目につましく暮らしていた女性が突然物乞いに転落。
痛快で小気味よいアルゼンチン映画。by K. Hattori

Luisa  映画は冒頭から、主人公ルイーサの1日の暮らしを紹介する。夜明けと共にいつものように愛猫ティノに起こされ、いつもどおりの食事といつもどおりの身支度を済ませ、いつもと同じ時間に部屋を出て、いつもと同じバスに乗り、30年務めているいつもの職場に出勤する。その前に立ち寄るのは、今は亡き夫と娘の墓。そこに花を手向け、墓石の周囲をていねいに掃除する。仕事は同じ敷地にある霊園の受付係。午後に仕事が終わると、今度は往年の大女優クリスタル・ゴンサレスの家で掃除や留守番が待っている。こうした暮らしが毎日毎日、何の変化もなく、それこそ判で押したように、あるいはまるで何かの儀式であるかのように延々と続いていることが映画から伝わってくる。おそらくルイーサは毎朝、玄関からバス停まで何歩で歩くかまできっちり決まっているのだ。しかしそんな暮らしは、ある日突然終わってしまう。愛猫ティノは死に、仕事はふたつともクビになり、手持ちの現金はほとんどゼロ。このままではネコの葬式もできなければ、食事にも事欠くことになる。ルイーサはたまたま利用した地下鉄で数多くの物乞いが「商売」しているのを見つけると、早速そのマネをして自ら物乞いを始めるのだが……。

 映像表現がかなり凝っていて、銀残し処理をしたコントラストが高くて粒子の粗い映像、シンメトリーな画面、主人公が軽いパニックを起こしたところで現れる短いカットのつなぎなど、CMかミュージックビデオのような表現が多用される。場面によっては、まるでホラー映画さながらに見えるほどだ。また映画前半で観られるルイーサの「平穏な暮らし」は、左右対称の構図を多用して画面に規律正しさと堅苦しさを出している。こうした映像の工夫によって、主人公の「決まりきった毎日の暮らし」を何度も繰り返すことなく、朝から晩までの行動を1回見せるだけで表現してしまうのはなかなかの腕前。普通はもう少し時間をかけて「繰り返しの毎日」を実際に何度か繰り返すことが多いと思うのだが、これで脚本のページ数をだいぶ節約し、物語の核心に一気に進んでいけるスピード感が出ている。

 人間は年を取ってからでも生き方を変えられるし、そうすることで新しい友だちもできるというのが、この映画の描いていること。テーマとしてはわりと単純だが、その単純で普遍的なテーマを「物乞いへの転落」という奇抜なアイデアを通して描くところに、この映画の独自性があるのだろう。シナリオの構成は定石通りの3幕形式で、第1幕では日常の終わりと物乞いへの転落、第2幕では物乞いとしての成長、第3幕で日常への回帰が描かれる。観客は映画の最後で、ヒロインが物乞い生活を抜け出したことを確信するだろう。でも実際のところそれは明確になっていない。具体的な描写やエピソードはないまま、脚本の形式や構成そのものが、主人公の人生の行方を観客に示唆しているだけなのだ。

(原題:Luisa)

10月中旬公開予定 ユーロスペース
配給:Action Inc.
2008年|1時間50分|アルゼンチン、スペイン|カラー|1:1.85|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ルイーサ
関連DVD:ゴンサロ・カルサーダ監督
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