人気AV女優みひろの同名小説を、渡辺奈緒子主演で映画化した青春サクセスストーリー。新潟の高校を卒業して就職のため上京した少女ひろみが、AV事務所にスカウトされてヌードモデルとなり、Vシネマ出演を経てAVデビューし、人気AV女優になるまでを描く。劇中で主人公みひろが仕事の合間に自伝小説を書いており、それが回想シーンという形でドラマ化されていくという構成。回想形式には「マヅルカ形式」という定番の構成があるのだが、これは物語が回想シーンから映画冒頭の「現在」に追いつくと、そこから時系列に沿って映画冒頭部分のその後を描いていくもの。しかし『nude』は映画が冒頭部分に追いついたところで終わってしまうため、外見的にはマヅルカ形式にはなっていない。ところがこの映画には、さらに仕掛けがある。
原作者のみひろは今年の6月にAV業界を引退して、今後は女優として活躍していく意向とのこと。彼女はこの映画の中にも主人公の芸名を考える先輩女優として登場し、「人気絶頂のままAV業界でやるべきことをやり尽くして引退する人だ」と紹介されている。これはみひろ本人のキャリアにも通じるわけで、この先輩AV女優はみひろ本人のことだ。そのため映画の中で、この先輩AV女優には役名がない。この映画にはみひろをモデルにした『nude』という物語の中にみひろ本人が登場して、主人公のその後をリアルに演じることで「マヅルカ形式」になっている。ドキュメンタリー映画の中の回想ドラマならともかく、劇映画の中でこんなことをする例はこれまでお目にかかったことがない。おそらく今後も、こんな映画は二度と現れないだろう。
この映画のもうひとつの大きな特徴は、地方出身の女の子が街頭でスカウトされ、巡り巡ってAV女優になってしまうまでの道のりを「サクセスストーリー」として描いている点にある。これは普通に常識的に考えれば、若い女性がたどる「転落の道」であるはず。映画の中でも主人公の親友や恋人が、何度も繰り返して「間違っている」「おかしい」と主人公に忠告しているし、主人公もAV出演を前に「それはできない」と言っている。だが結局、主人公はAVに出演してしまうのだ。なぜだろうか? 僕にはそれがわからない。少なくともこの映画の中に、それをきちんと納得させてくれるだけの切実さはなかったと思う。切実さがないところで主人公がどれだけ苦しもうと、どれだけ涙を流そうと、そんなものに少なくとも僕は共感もできないし同情もしない。そんなものは自業自得。身から出た錆ではないか。飯島愛の『プラトニック・セックス』には、そうした点に対する言い訳が山のように盛り込まれていた。それはそれで陳腐だが、物語としての整合性という意味では何十倍もまともだと思う。
僕は原作者のみひろを知らないし、原作小説も読んでいない。だからこれは、この映画に対する批判だ。
DVD:nude
原作:nude(みひろ) 主題歌「バイババビンバ」収録CD:タンタン・テラピー(テニスコーツ) 関連DVD:小沼雄一監督 関連DVD:渡辺奈緒子 関連DVD:光石研 関連DVD:佐津川愛美 関連DVD:永山たかし 関連DVD:山本浩司 |