サラエボ,希望の街角

2010/12/09 松竹試写室
戦争の傷を抱えながら生きるサラエボのムスリムたち。
一組のカップルの「戦後の今」を描く。by K. Hattori

Naputu  ほんの15年前まで、激しい内戦状態にあったボスニア・ヘルツェゴヴィナ。しかし今では街もすっかり復興し、人々の暮らしも落ち着きを取り戻している。ボスニア人(ボシュニャク人)のルナとアマルは同棲中の恋人同士。ルナは航空会社でCAとして働き、アマルは空港の管制官。仲のいいカップルだが、アマルが時に酒で羽目を外しすぎることがルナには気になっている。ある日、勤務中に酒を飲んでいることがばれたアマルは、6ヶ月の休職と降格処分を受ける。そんな時、アマルは戦友だったバフリヤという男と再会。彼はイスラム原理主義のグループに属しており、仕事を失ったアマルに仕事を世話すると言って自分たちの主催するキャンプに誘う。ルナはそれに頑なに反対するのだが……。

 一緒に暮らしているパートナーが、ある日突然宗教原理主義者になってしまう物語。しかしこれを「だからイスラム教は怖い」と解釈するのはとんだ間違いだ。主人公のルナもイスラム教徒だし、家族や親戚もみんな同じ。現在のサラエボでは、住民の8割以上がイスラム教徒だと言われている。しかしボスニアのイスラム教はアラブのそれとは違って世俗化が進んでいて、暮らしぶりは他の人たちとまったく変わらない。豚肉は避けるが飲酒はOK。女性はベールやスカーフも身につけないし、肌の大きく露出した服を避けることもない。ルナとアマルもそうしたボスニアのイスラム教徒だったからこそ、アマルがひとり原理主義的なグループに入ったときに戸惑うわけだ。ボスニアのイスラム原理主義グループは現地でも社会問題化しているようで、映画の中にも「テロリスト」や「洗脳」といった言葉が出てくる。ボスニアの原理主義グループはボスニア古来のイスラム教ではない。内線時代にムスリム人を支援するためアラブ諸国からイスラム教徒の義勇兵が数多くボスニアに入り、原理主義者はアラブ諸国(特にサウジアラビア)との関係が深い新興勢力なのだという。

 僕はこの原理主義グループの様子を見て、アメリカのキリスト教福音派を連想した。ボスニアで昔からのイスラム教徒と新興原理主義グループの間に亀裂が生まれているように、アメリカでも古くからの主流派教会と福音派の間に亀裂が生じている。しかしこの映画は、そうした宗教対立がテーマではない。

 この映画はルナとアマルの姿を通して、15年前まで続いていた「内戦の傷」を描いているのだ。イスラム原理主義グループが内戦をきっかけに生まれ、映画に登場するグループは、内戦で家族を失った人たちによって支えられているという設定だ。彼らは内戦によって自分たちが傷ついたのは、共産党支配下でイスラム教徒が正しい信仰を捨ててしまったからだと教える。これがアマルの心をとらえたのだ。アマルにとって信仰は、戦争の傷を癒す特効薬だったのかもしれない。でもルナはそれとは違う形で、未来に向かって歩んでゆくのだ。

(原題:Na putu)

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2011年2月19日(土)公開予定 岩波ホール
配給:アルバトロス・フィルム、ツイン
2010年|1時間44分|ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア|カラー|シネスコ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.iwanami-hall.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:サラエボ,希望の街角
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