死にゆく妻との旅路

2011/01/07 京橋テアトル試写室
多額の借金から逃げる男とガンで余命わずかな妻の旅。
実話がもとだが語り口に工夫がない。by K. Hattori

Shiniyuku  1999年12月。病気の妻に適切な治療を受けさせず死なせた保護責任者遺棄致死容疑で、清水久典は警察に逮捕された。小さな縫製工場を営んでいた久典だったが、安い中国製品に押されて会社は前年に倒産。彼に残ったのは4千万円の借金だけだった。ワゴン車の中に身の回りのものだけ詰め込んで、久典は金策とも逃避行ともつかぬ行き当たりばったりの旅を続ける。そこに9ヶ月前からは、妻が同行していたのだ。だが彼女は前年11月に手術したがんが再発するが、最後の最後まで医者の診察を受けることなく、がんが体を蝕む激痛に苦悶しながら息を引き取る。これは実際に起きた事件を、当事者である清水久典の手記にもとづいて映画化した作品だ。

 原作は「実話」という触れ込みなのだが、何しろ夫婦ふたりだけの旅を、生き残った夫が手記として発表したものだから、どこまでが本当でどこからが作り話なのかはわからない。映画は原作の成り立ちがどうであれ、映画に描かれた出来事の内容で判断評価すべきだとも思うのだが、そうすると今度は主人公が自己破産の道を選ばず、あてもなく行き当たりばったりの旅をしている様子が不可解に思えてしまう。自己破産しなかったことについて「事実そうなのだからしょうがない」という反論はあるかおしれないが、それなら妻との関係についても「事実は本当にそうだったのか?」と言いたくなってしまうではないか。映画を「事実」を引き合いに評することはナンセンスだ。初学者向けの脚本手引き書に必ず書いてあることだが、「こんな話は信じられない」「リアルじゃない」という批判に対して、「これは本当にあったことなんです」「わたしが体験した実話です」と反論することは意味がない。映画の中の出来事は、映画の中だけでリアルな現実として成立していなければならない。この映画について言えば、主人公たちの愚かな旅を成立させるだけの必然が、映画の中できちんと描き切れていなかったように思える。

 原作は未読だが、僕がこの映画のプロデューサーなら、脚本をこれとはまったく別の構成にする。物語の冒頭は主人公が親戚宅で逮捕されたところから始める。あとは警察の取り調べ室で、主人公が警官に答える内容を回想シーンとしてドラマ化するマヅルカ形式にすればいい。そうすれば主人公夫婦の行動に対する一般的な疑問や不信感に対して、主人公自身の口から語らせることができる。なぜ借金を抱えてしまったのか。なぜ自己破産しなかったのか。なぜ病院に行かなかったのか。これらを再現ドラマの外側から、警官と主人公の対話としてボイスオーバーで織り込んでいけばいい。(今から同じ素材のテレビドラマ化を考えているプロデューサーがいたら、ぜひともご検討を!)

 主演の三浦友和と石田ゆり子はとてもよかったし、印象的なシーンも多い。しかし僕はこの映画に「語り方」の工夫が足りなかったと思う。

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2月29日公開予定 石川・富山先行公開
2月26日公開予定 ヒューマントラストシネマ有楽町ほか
配給:ゴー・シネマ 宣伝:樂舎
2010年|1時間53分|日本|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://www.tabiji-movie.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:死にゆく妻との旅路
原作:死にゆく妻との旅路(清水久典)
関連DVD:塙幸成監督
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