神々と男たち

2011/01/14 ショウゲート試写室
テロによる危険から修道士たちはなぜ逃げなかったのか?
1996年に起きた実在の事件を映画化。by K. Hattori

Kamigamito  1996年3月27日夜、アルジェリアの小さな村にあるトラピスト会の修道院をイスラム過激派が襲い、就寝中だった7人のフランス人修道士を拉致した。それから1ヶ月以上たって、過激派グループは7人の殺害を発表。間もなく7人の切断された頭部のみが遺体として発見された。映画はこの事件に至るまでの日々を、修道士たちの視点から描く実録ドラマ。国情が騒然となり、イスラム過激派による異教徒や外国人に対するテロが頻発し、修道院周辺にもテロリストたちの姿が見え隠れする中で、修道士たちは何を考えながら暮らしていたのか。修道会やフランス政府からも帰国や移動をうながされていたのに、彼らはなぜその場から立ち去らず危険な修道院に残ったのか。映画は彼らを殉教美談の主人公にすることなく、最後の最後まで揺れ動く人間の心を浮き彫りにして行く。

 事件そのものについては今でも謎とされていることが多く、修道士たちを誘拐して殺したのはイスラム過激派ではなくアルジェリア正規軍だったという説も、まことしやかにささやかれているらしい。しかし映画はそうした説には踏み込まない。この映画にとって誘拐事件そのものは、物語の結果が出た後のエピローグみたいなものだ。映画の中心になるのは事件を前にして動揺する修道士たちの姿。フランスに帰国するか、それとも修道院に残るのか。ふたつの選択の間で最後まで悩み苦しむ男たちが、最後に全員一致で「残る」ことを選択する。ここでこの映画は事実上終わっている。

 映画の導入部は、早朝から始まる修道士の1日を再現するシーンで始まる。祈りと聖歌。読書と学習。畑仕事などの労働。「祈り、かつ働け」という修道院の標語そのものを生きる暮らし。そして周辺住民たちとの交流。修道院の診療所に詰めかける近隣の人々。昔から顔なじみの住民たちの生活に、深くなじんだ修道院の存在。そこではキリスト教とイスラム教が、必ずしも敵対的な関係にはない。互いが互いの信仰に敬意を払い、自分たちとは異なる文化として理解し存在を認め合う関係が作られている。これらは暴力の前に消え去ってしまうわけだが、それでも修道士たちは自らそれを投げ捨てることはしない。

 この映画がわかりにくいとしたら、それは修道士たちが最終的には「不合理な理由」で修道院に留まり続ける部分にあると思う。合理的に考えれば、彼らは政情不安な状態が収まるまでは修道院を離れるべきだった。しかしこの修道士たちが「神に与えられた運命への従順」を貫き、「人間となった神であるキリストの受難」を我が身に受け入れる姿は人を感動させる。「白鳥の湖」が流れるクライマックスは、『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに』(マタイ26:39)とゲッセマネで祈ったキリストの姿が修道士たちに重なって見える。

(原題:Des hommes et des dieux)

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3月上旬公開予定 シネスイッチ銀座
配給:マジックアワー、IMJエンタテインメント
2010年|2時間|フランス|カラー|2.35:1|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.magichour.co.jp/syosai/0000045.html
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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