シリアスマン

2011/01/26 京橋テアトル試写室
真面目一筋の男がなぜか次々不幸に見舞われるコメディ。
気の毒だが、でも、笑ってしまう。by K. Hattori

Shiriasuman  1967年。アメリカ中西部郊外で暮らすラリー・ゴプニックの平和な暮らしは、足下から崩れ始める。それまで彼の関心事と言えば、勤務している大学が終身契約を結んでくれそうだということと、2週間後に控えた息子のバルミツバ(ユダヤ人の子供が13歳で受ける成人の儀式)だけ。だがその彼に、妻のジュディスは突然「離婚したいので離縁状を書いてほしい」と言い出す。彼女はなんと夫婦共通の友人であるサイと、離婚前から再婚の約束までしていると言うではないか! これと前後して、ラリーの周辺は心穏やかではいられない事件が次々に降りかかってくる。落第点を付けた留学生が多額の賄賂を押しつけてくる。隣人が敷地の境界線を侵入してくる。息子は学校で何やらトラブルがあるらしい。聞いたこともないレコードクラブから、頻繁に電話がかかってくる。無職の弟が家に居座り続け、しかもその精神が病んでいるらしい。トラブルの連続で何も考えられないうちに、ラリーは妻に家から追い出されてしまう……。

 タイトルの『シリアスマン』には「生真面目な男」という意味と「危機に瀕した男」という2種類の意味があり、物語はタイトル通り、生真面目な男が危機的な状況に追い込まれる話になっている。道義的なんの落ち度もない男が次から次に不幸に見舞われ、しかもそれがどんどんエスカレートして行く姿は、気の毒ではあるが滑稽でもある。主人公が自分の置かれた境遇の意味についてラビ(ユダヤ教の指導者。キリスト教の牧師みたいなもの)に相談するのだが、誰も彼に対して有効な助言をしてくれない。こうした物語の構成から、この映画が旧約聖書のヨブ記を下敷きにしていると評する人もいるが、監督脚本のコーエン兄弟自身にはそうした意図がなかったらしい。でも「義人の苦難」と言えば、ヨブ記だよなぁ……。

 この映画がヨブ記に共通する要素を持っているとすれば、それは人間が自分が置かれている状況の意味を知りたいと願うことかもしれない。人はそれぞれ別々に起きている出来事をつなぎ合わせて、そこに何かの意味を求めずにいられない。例えばこの映画の冒頭にある、イディッシュ語による民話風のエピソードはどんな意味があるのか? コーエン兄弟によればこれは「小さな自己完結した物語」であり、「後に続くストーリーと何の関係もない」のだという。でも人は、このふたつの物語に関係を求めてしまう。そこに何か意味があるのだろうと勘ぐらずにはいられない。

 人は世界に意味を求める。そこに明確な意味が見つかりさえすれば、人は普通なら耐え難い精神や肉体の苦痛にも耐えられてしまったりする。この映画を観ながら観客が笑っていられるのは、主人公を取り巻く不合理や不条理の背後に、「映画の作り手」という創造主の存在があることを知っているからだろう。しかし映画の外で、神が人の呼びかけに答えることはない。

(原題:A Serious Man)

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2月26日公開予定 ヒューマントラストシネマ渋谷
配給:フェイス・トゥ・フェイス 宣伝:メゾン
2009年|1時間46分|アメリカ|カラー|ビスタ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://ddp-movie.jp/seriousman/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:シリアスマン
サントラCD:A Serious Man
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