ジョン・レノン,ニューヨーク

2011/07/01 京橋テアトル試写室
ジョン・レノンを生かし、殺した、ニューヨークの日々。
等身大のジョン・レノンが見える映画。by K. Hattori

Lennonyc  1970年にビートルズが解散すると、前年に結婚したばかりのジョン・レノンと妻オノ・ヨーコはイギリスのマスコミや音楽ファンから大バッシングを受ける。ビートルズ解散前からジョンとヨーコが行っていた様々なパフォーマンスや政治的発言が面白おかしく取り上げられ、彼らの奇矯な振る舞いこそがビートルズを解散に追い込んだ原因とされたのだ。特にヨーコに対する風当たりは強かった。ふたりは逃げるようにニューヨークに移り住み、そこでかつてない自由を満喫することになる。ニューヨークは前衛芸術の総本山で、政治活動と音楽と芸術が一体となったジョンとヨーコのカップルも、当時のニューヨークにはすぐに馴染んでいく。

 僕は1966年生まれだが、ビートルズを意識してリアルタイムで聴いたことはない。(ビートルズ解散の年に4歳だから仕方がない。)1980年12月8日、ジョンがニューヨークの自宅アパート前で撃たれたときは中学生。それから直前に出たアルバム「ダブル・ファンタジー」を買って聴いていたのが、僕にとってのジョン・レノン体験だった。僕にとっては1970年代もその前の60年代も、後付けでお勉強した現代史。そこにはベトナム戦争があり、反戦平和運動があり、米中国交正常化があり、ウォーターゲート事件があった。この映画を観ると、1970年のジョン・レノンがそうした時代の流れにぴったり寄り添って生きてきたことがわかる。

 ロンドンから追われるようにアメリカに渡ったジョンとヨーコにとって、ニューヨークは最高の場所だった。モダンアートの中心地だったし、政治的な発言をする人も多く、異なる価値観がぶつかり合ってもそれを受け入れる気風があった。ところがアメリカ政府は、ジョンを面白く思わなかった。人権問題やベトナム戦争について盛んに発言するジョンとヨーコを、アメリカ政府は国外に追放したくてたまらない。政府機関は、ふたりの身辺調査を開始する。ジョンたちの政治的パフォーマンスは当初大きな成果を上げたように見えたが、ニクソンの対抗馬として応援していたマクガヴァンは大統領選に惨敗。これがふたりにとって大きな挫折となり、ジョンの自暴自棄な振る舞いでヨーコとの間にも重大な亀裂が生じる。翌年ふたりは別居し、ジョンはロサンゼルスで酒浸りの「失われた週末」に突入。しかし74年暮れにふたりは再会し、ジョンは再びニューヨークへ。間もなく息子のショーンが生まれてジョンはハウスハズバンド(主夫)として5年ほどを過ごし、1980年に「ダブル・ファンタジー」で音楽の世界に戻ってくるのだ。

 映画はジョンとヨーコにとって激動の時代だった1970年代を、当時の記録フィルムやスタジオに残っていた貴重な音源、新たに収録された関係者のインタビューで綴っている。1970年代のジョン・レノンが、いかに生きることや表現することに貪欲で、常に全力疾走していたことがわかる。

(原題:LennoNYC)

Tweet
8月13日公開予定 東京写真美術館ホール
配給:ザジフィルムズ
2010年|2時間|アメリカ|カラー|ビスタ
関連ホームページ:http://johnlennon-ny.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ジョン・レノン,ニューヨーク
関連DVD:ジョン・レノン
関連書籍:ジョン・レノン
関連書籍:オノ・ヨーコ
ホームページ
ホームページへ