幸運の壺

Good Fortune

2012/01/30 シネマート六本木試写室
売れない役者が死んだ妻の死体を隠そうとするのだが……。
ほっしゃん。主演の笑えないコメディ。by K. Hattori

Goodfortune  袴田良作は売れない役者だ。かつては自主製作映画の世界で少しは名の知れた存在だったが、30歳を過ぎた今、主な仕事は映画やテレビドラマのエキストラだけ。収入は微々たるもので、生活費のほとんどは妻の麻美が稼ぎ出している。不甲斐ない良作に対する麻美のイライラは高じて、現在はことあるごとに怒鳴られ、暴力を振るうこともある。そんな麻美の鬼嫁状態は仕事仲間も知っているから、良作はますます肩身が狭い。「いっそ奥さんを殺しちゃったら」などと後輩に冗談めかして言われても、それが冗談に感じられない良作なのだ。ところがある夜のこと、酔って食ってかかってくる麻美を押しのけた拍子に、彼女はよろけて倒れ、そのまま打ち所が悪くて死んでしまったのだ。急いで救急車を呼ばなければ!と思ったが、良作と麻美の夫婦仲の悪さは周囲の誰もが知っている。このままでは自分が麻美を殺したと思われてしまう。良作は妻の死体を隠そうとするのだが、間の悪いことにそこに妹のエリカがやって来るのだった……。

 NHKの朝ドラ「カーネーション」でも快調なほっしゃん。が、麻生久美子演じる妻の死体を隠そうと右往左往するドタバタコメディ。舞台劇みたいな映画だなぁ……というのが正直な感想。それが悪いわけではないのだが、作り手がこの舞台劇タッチにどの程度自覚的なのかがよくわからない。ちょうどこの少し前にポランスキーの『おとなのけんか』を観ていて、これが見事な舞台劇の映画化だったので、どうしてもそれと比較してしまう。いきなりポランスキーと比べるのは気の毒かもしれないが、人物の出し入れにせよ、芝居の段取りや噛み合わせにせよ、カメラアングルにせよ、もう少し工夫があってもいいのではないだろうか。

 映画は舞台で演じられる奇術と同じだ。どんな奇術にも種や仕掛けは当然あるだろう。しかしそれを観客の目から隠して、種も仕掛けもないかのごとく演じてみせるのが奇術師の技というものだろう。映画は脚本に沿って事件が起きる出来合いのドラマで、最初から最後までご都合主義の段取り芝居の連続だ。しかしそのご都合主義や段取り芝居をそうと感じさせずに見せるのが、映画作りの技術というものではないだろうか。しかしこの映画には、そうした技術的な工夫がまるで見られない。ご都合主義と段取り芝居が何の取り繕いも見せずに生のまま連続して出てくると、映画を観ていても白けてしまうことこの上ない。奇術でも種や仕掛けをばらすことで観客の笑いを取る芸があるが、この映画はそうしたネタばらしの笑いを取っている風でもない。これが舞台劇ならとりあえず演じている人たちが必死になっている熱気だけで2時間の上演時間を持たせることができるが、映画の場合そうしたライブ感が伝わらないから1時間半足らずの映画でも時間が持たないのだ。同じ設定からもっと面白い映画も作れそうなのに、それができずに空回りしている作品。

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2月25日公開予定 シネマート新宿、シネマート六本木、シネマート心斎橋
配給:株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー
2011年|1時間23分|日本|カラー
関連ホームページ:http://tsubo-goodfortune.com/
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