『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー賞を受賞しているアン・リー監督の新作は、ヤン・マーテルのブッカー賞受賞小説「パイの物語」の映画化だ。今年のアカデミー賞ではスピルバーグの『リンカーン』が最多12部門にノミネートされているが、本作『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』はそれに次ぐ11部門でノミネートされている。
物語はインド系カナダ人のパイ・パテルが、小説家志望の若い男に自らの半生を語るという額縁スタイル。中間部は回想形式だが、この形式のいいところは長い時間の中から必要な部分だけをピックアップして短時間にまとめてしまえること。絵だけでわかりにくいところは適時ナレーションで補足できるし、絵だけで解釈が分かれそうな部分についても、どんどんナレーションを使って特定の解釈に観客を誘導して行くことができる。例えば画面に大きく映された風景について、ナレーションで「それはとても美しかった」と言えば、観客はそれが美しい風景だと100%思ってくれる。「恐ろしかった」と言えば、恐ろしい思いを100%共有してくれる。
回想形式の映画としては、語りの最後が現在に直結して追い抜いていくマヅルカ形式もよく用いられる手法だが、この映画については回想で語られる過去と現在がつながらずに分断されている。額縁にあたる「現在のパイ・パテル」と、回想シーンの中にいる「過去のパイ・パテル」は同じ人物であるはずだが、そこに直接的なつながりはないのだ。このことによって、現在のパイ・パテルが過去の自分について語りながら、語られている内容が真実かどうかわからないという曖昧な状況になる。回想の中で想い出は美化され、理想化され、大げさに誇張され、場合によっては大きくねじ曲げられている可能性もある。だがこの映画の中では、語り手のパイ・パテル自身がそれを隠そうとしない。一通りの物語を語った上で、主人公のパイは「あなたはこの物語を信じますか?」と問いかけるのだ。その問いは映画の中では小説家志望の男に向けられたものだが、実際には映画を観ている観客ひとりひとりに問いかけられたものでもある。「映画を観ているあなたは、この奇想天外な物語を信じますか?」とパイは問いかける。そして観客の多くはそれに対して「信じる!」と答えるに違いない。
映画は作り手と観客の秘かな共犯関係によって成立する芸術だ。映画に限らず、演劇でも小説でも同じかもしれない。作り事である虚構の物語は、受け手がそれを「信じる」ことによって真実の物語として命を吹き込まれる。パイ・パテルの驚くべき冒険物語は、聞き手がそれを信じることで本当になるのだ。これは物語について語る際、教科書になりそうな映画だと思う。
決して小難しい映画ではない。CGやデジタル合成を使った3D映像は、圧倒されるような美しさがある。
(原題:Life of Pi)
サウンドトラックCD:Life of Pi
原作:パイの物語(ヤン・マーテル) |