横道世之介

2013/01/17 ショウゲート試写室
大学進学のため地方から上京してきた横道世之介の青春。
誰もが持つ普通の青春のきらめきを描く。by K. Hattori

Yokomichi  吉田修一の同名小説を、『南極料理人』や『キツツキと雨』の沖田修一監督が映画化。横道世之介という風変わりな名前の大学生を中心に、彼の青春と、彼と関わった何人かの人たちのその後をスケッチ風に描いていく。主人公の世之介は原作者の分身のような存在で、1968年に長崎で生まれたことも、法政大学に進学するため上京してきたことも、原作者のプロフィールをそのままなぞっている。僕は1966年生まれなので世之介と年齢が近く、映画に描かれている1980年代後半の青春に、我が事のように共感してしまった。映画ほどドラマチックでもなくて、もっと湿っぽくて暗い青春だったが、それでも描かれている1980年代の空気は僕もよく知っているのだ。

 1980年代の終わり頃、世の中はバブルだったが、若者にはそんなこと何も関係なかった。一部に羽振りのいい人たちがいて、あちこちで遊び回っている人たちがいたのは知っている。でも自分がその遊びの真っ直中に入っていくことはなかった。映画の中で世之介は、年上の女性・千春や交際相手である祥子の存在を通して、そうしたちょっと羽振りのいい世界を垣間見ている。でもそれだけだ。世の中の景気がどうであれ、若者はつまらないことで忙しいし(本当は有り余るほど時間があるのだが)、お金がなくて貧乏なのだ。映画の中で好景気の恩恵を受けているのは、入学早々大学を中退して働き始めた友人ぐらいだろう。今じゃ同じことをすると路頭に迷いそうだが、当時は不動産関係の仕事に引く手あまただった。

 映画は世之介を中心にして現在進行形の青春模様を描いていくが、同時にそれから15年後の2003年の視点から、通り過ぎてしまった遠い青春の日々を回想している。終わってしまった青春時代。終わってしまった大学生活。終わってしまった友情と、終わってしまった恋愛関係。青春時代には真剣に思い悩み、苦しみ、涙を流した数々の出来事も、そこを通り過ぎて10何年もたてば、今の自分とは無関係な、遠く懐かしい風景になってしまう。それは今の自分と関係のない、まるで他人事のような世界だ。しかしそれはやはり、今の自分を作りだしている過去の自分であり、今この時に生きている自分自身を形づくる何ものかになっている。

 35歳の横道世之介は、カメラマンになっている。この映画に描かれる1980年代後半の青春模様を物凄く乱暴に要約してしまうなら、将来に何の展望も持っていなかった主人公がカメラに出会うまでの物語……と言ってもいい。おそらく世之介本人は、この時点で自分がカメラマンになるなどとは夢にも思っていないだろう。でもここで出会ったカメラが、その後の世之介の一生を決めてしまう。カメラを手にしたばかりの世之介が街を駆け抜けていく姿の中に、多くの大人たちは自分自身の青春時代を重ね合わせることだろう。

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2月23日公開予定 新宿ピカデリー、渋谷HUMAXシネマ、シネ・リーブル池袋
配給:ショウゲート 宣伝:スキップ、フラッグ
2012年|2時間40分|日本|カラー|ビスタ|ステレオ
関連ホームページ:http://yonosuke-movie.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作:横道世之介(吉田修一)
主題歌CD:今を生きて(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
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