故郷よ

2013/01/24 京橋テアトル試写室
原発事故で喪失した故郷を離れられない人々の思い。
チェルノブイリ事故の癒えない傷跡。by K. Hattori

13012402  1980年代半ば、旧ソ連時代のウクライナ。うららかな春の日に、人々は連れ立って街を散歩し、川辺では主婦たちが洗濯物に精を出し、親子はリンゴの苗木を土手に植え、若いカップルは念願の結婚式で喜びに包まれる。結婚式で歌われるのは、当時の大ヒット曲「百万本のバラ」……。

 だがこの時、町には人々の気付いていない変化が忍び寄っていた。川辺には無数の魚の死体が浮かび上がっている。山では木が枯れていく。町の周辺には、どこから集まってきたのか軍用車両や兵士たちの姿が目に付くようになる。やがて結婚式場にも呼び出しがかかり、式を終えたばかりの花婿が山火事の消火活動に駆り出されていく。だがそれっきり、花婿が妻のもとに戻ることはなかった。1986年4月26日のウクライナ、プリピャチの町。その夜、町の人たちはすぐ近くにあるチェルノブイリの原発から、もうもうと白煙が立ち上る風景を眺めていた。町を包み込むのは、この地方の春に特有の激しい雨。だが人々はそのことに何も気を止めることなく、雨に濡れながら、その奇妙な風景に見とれているのだった。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故を、原発に隣接する町プリピャチの住民視点で描いた劇映画だ。物語は原発事故が起きる前の平和な町の描写から始まり、事故発生当日の不気味な静けさ、何も知らされない住民達が無防備に放射能にさらされていた事故翌日、そして全住民が慌ただしく強制避難させられる事故2日目までを再現した後、廃墟と化した10年後の町の姿と、その町から離れられない元住民達の姿を映しだしていく。監督はイスラエル出身のミハル・ボガニム。これが初の劇映画らしいが、いきなりなんだかスゴイ映画を作ってしまった。

 映画は1986年と10年後の1996年を描いているが、2つの時間のちょうど中間地点である1991年にソ連が解体消滅している。プリピャチの人々はソ連政府のエネルギー政策によって生まれ育った町での生活を奪われ、そのソ連政府も消え去るという二重の喪失の中に置かれている。だがチェルノブイリ事故が起きた当時の人々は、そんな自分たちの未来を知らない。映画が作られた「現在」はそこからさらに15年後の2011年なのだが、こうして未来から過去を描くことで、映画の作り手と観客は過去の出来事をすべて見通す神のような視点を手に入れてしまう。複数の時間と対比されていく中で、映画の中に描かれたそれぞれの「今この時」は、その前後の別の時間に照射されて、その時点では見えない別の意味を浮かび上がらせていく。

 映画を観ていて恐ろしいのは、映画の中の「過去」が2011年3月に起きた福島原発事故という日本の「近過去」を照らし出して、今現在の日本人の暮らしを映画の中に映し出してしまうことだ。この映画に登場する人々は、四半世紀前のソ連の人々ではない。それは今を生きる、我々の同胞の姿でもあるのだ。

(原題:La terre outragee)

Tweet
2月9日公開予定 シネスイッチ銀座
配給:彩プロ 宣伝:ザジフィルムズ
2011年|1時間48分|フランス、ウクライナ、ポーランド、ドイツ|カラー|ヴィスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.kokyouyo.ayapro.ne.jp
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
関連商品:商品タイトル
ホームページ
ホームページへ