愛してる、愛してない

2013/02/15 京橋テアトル
結婚生活最後の1日を共に過ごす若い夫婦の物語。
原作は井上荒野の短編小説。by K. Hattori

13021503  井上荒野の短編小説「帰れない猫」を、『素晴らしい一日』のイ・ヨンギ監督が映画化した作品。主演はヒョンビンとイム・スジョン。離婚することを決めた若い夫婦の最後の1日を淡々と描いたドラマ作品だが、僕には退屈でしょうがなかった。

 映画は夫が妻を自動車で空港まで送っていく場面から始まり、そこで別れ話が出る。車の前に設置されたカメラで、ワンカットで撮影されているこのシーンが物語のプロローグ。場面が変わるとそこは家の中で、妻が出て行く前に最後の荷物の整理と荷造りをしている。家の外は土砂降りの雨。夫婦は最後の食事のため夜7時にレストランの予約を入れてあるが、雨足はますます強まるばかり。薄暗い家の中で、人物を追いかけるようにカメラが移動していく。時折挿入される明るい風景は、ふたりが幸せに過ごした過去だろうか。それとも家の主を失った未来だろうか。夫婦ふたりの気詰まりな時間が流れるが、そんな時、家の中に1匹の猫が迷い込んでくる……。

 上映時間は1時間45分。この「お話し」を描くためのことなら、この上映時間はまったく無駄に長いとしか言いようがない。これだけの話なら、上映時間はこの4分の1に切り詰められるはずだ。どこをどうしようと、この話で1時間以上の上映時間になることはあり得ない。それが普通の映画の作劇術というものだろう。冒頭の車のシーンはいらない。ヒロインの母から電話がかかってくる場面、猫を探して隣家の住民が訪ねて来る場面、レストランから予約確認の電話がかかってくる場面、ヒロインの恋人から電話がかかってくる場面などをキーポイントにして上手く話を回していけば、このお話しはきちんと30分以内に収まりがつくはずなのだ。夫婦間の気まずい沈黙や、最後の最後になっても無為に流れていく時間などを表現するにしても、5分の沈黙を30秒で表現するのが映画というものではないか。5分を5分で、10分を10分で表現するのは、映画の技法としては間違っている。

 しかしこの映画はその間違っていることを、あえてやっている。作り手はこれが、正攻法でないことなど百も承知だろう。この映画の狙いは、本当なら30分以内で表現できることを、あえて1時間45分かけて描いていることそのものにある。作り手の目的は「物語を語ること」ではなく、「語りの技法」にあるのだ。だからこの映画を「話のわりに長すぎる」と批判しても意味がない。この映画はその「長さ」そのものが、作り手の意図するものだからだ。

 そうなると焦点になるのは、この「長さ」によってこの映画が面白くなっているかだろう。この「長さ」の中に映画としての旨味が凝縮され、充実した時間を観客に味わわせることができたかどうかだ。僕は正直、ここにそうした充実を感じることができなかった。やはりこの映画は、長い時間を空費しているとしか思えない。

(英題:Come Rain, Come Shine)

Tweet
3月16日公開予定 新宿武蔵野館
配給:ポニーキャニオン 宣伝:アルシネテラン
2011年|1時間45分|韓国|カラー|ビスタサイズ
関連ホームページ:http://aisiteru-aisitenai.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作「帰れない猫」収録:ナナイロノコイ (ハルキ文庫)
ホームページ
ホームページへ