コリーナ,コリーナ

1994/12/21
主演のウーピー・ゴールドバーグとレイ・リオッタを食いかねない、
名子役ティナ・マジョリーノの存在感を見よ。by K. Hattori


 ウーピー・ゴールドバーグはとっても良かった。子役のティナ・マジョリーノは『男が女を愛するとき』でも素晴らしかったけれど、この映画では終始でずっぱりで、これがまたイイ。ウーピーとマジョリーノの掛け合いなんざ、最高です。難点は、マジョリーノの父親を演じたレイ・リオッタが、いささかミス・キャスティングではないかという点。リオッタとウーピーじゃ、最後にゴールインするという展開に無理がある。だいたいさ、ウーピーとリオッタが互いに惹かれあってゆくという目立って具体的なエピソードがないし、ふたりの表情からもそれが見えないんだよね。

 リオッタって、ウーピーの相手役としては、ちょっと繊細すぎるんじゃないかな。もう少し年輩で、もう少しぼんやりしていて、もう少し太った役者の方が良かったと思うけど、そう言う僕は、例えば『マイ・ガール』のダン・エイクロイドあたりをイメージしているわけです。ま、今のエイクロイドじゃあ、これまたウーピーとはバランスが悪そうだけどね。エイクロイドじゃ『マイ・ガール』と同じになっちゃうし。(それに相手がエイクロイドじゃ、ジョーン・キューザックがベッドにもぐり込んでくるエピソードは使えないかな。ふふふ。)

 まぁこんなことは部外者である観客の考えることであって、映画の登場人物たちにはそれぞれ抱えている事情があるのでしょう。よござんす。この映画は製作・脚本・監督を兼ねたジェシー・ネルソンの伝記的な作品ということだから、主人公の少女にひたすら感情移入して観るべきなのかもしれない。マジョリーノの演技は、充分感情移入に価するしさ。

 母親を失ったショックで言葉を失った少女が、自分の鼻を指さして会話することを教えたり、一緒にピアノを弾いてくれたり、交差点で次々と信号機を青に変えたりする家政婦のコリーナに心を開いてゆく様子は、実にきめ細かくていねいに描かれている。このあたりは観ていて気持ちがいいし、とってもハッピーな気持になれる。シーツを取り替える手伝いをしながら、少女が始めて口を開くシーンには、感動して涙がこぼれそうになった。そんな少女の変化に気がつきながら、大騒ぎをするのでなく、優しく会話をリードしてゆくコリーナもまた素晴らしい。この後、少女とコリーナは親友になる。映画の後半でコリーナと引き離された少女が、涙を浮かべながら信号機に息を吹きかけるシーンには、僕、ついに涙ぼろぼろでした。

 映画には人種差別問題などもエピソードとして描かれているけれど、それは時代背景を説明するだけ。僕にとっては、ティナ・マジョリーナという子役を覚えられただけでも、この映画は大収穫。これが遺作になったドン・アメチーも、いい味出してるよ。


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