望郷

1995/05/21 シャンゼリゼ
ジャン・ギャバンがカスバの坂を駆け降りる場面の息苦しさ。
映画史場に残るフランス映画の傑作。by K. Hattori



 まぎれもない傑作。今さら僕がこんなこといわなくても歴史に残る映画の1本。フランス映画ならではの重厚な芝居の応酬に加え、セットとロケーションを組み合わせたスケールの大きな映像。脚本よし、芝居よし、役者よし、撮影よし、音楽もまたよし。どれかひとつでも要素が欠ければ生まれることのなかった、完璧な映画のひとつだろう。

 主人公の名である〈ペペ・ル・モコ〉という原題を日本では『望郷』とするあたり、このタイトルを考えついた宣伝マンは天才だ。映画を見た後では、まさにこのタイトル以外にはあり得ないと唸らされる。昔の映画輸入配給業者には、センスのあるスタッフがいたんですねぇ。

 主人公は、パリで勇名をとどろかせた大盗ペペ・ル・モコ。彼は警察に追われ、流れ流れて今はアフリカ・アルジェのカスバと呼ばれる旧市街に身を潜めている。カスバの迷宮のように入り組んだ細い路地には、警察もうかつに踏み込めない。ペペは他に逃れるところのないお尋ね者だが、カスバでは依然として王様のように振る舞うことができる。すぐ目と鼻の先にいるペペに手が出せず、いら立ちを隠せない警官たち。しかしその中に、ペペはいつかカスバから出てくるに違いないと確信する刑事スリマンがいる。彼は旧市街を歩き回り、時にペペと親しく言葉を交わしながら、彼がカスバから街に降りてくるその時を待っている。ペペはカスバでは王様だが、そこから一歩外に出れば瞬時にして警官に捕らえられるだろう。カスバはペペを守る砦であると同時に、ペペを閉じこめている牢獄でもあるのだ。

 牢獄の中の自由でも、それが牢獄であることに気がつかなければ気楽なものだ。事実、ペペはひとりの女に出会うまでそれに気がつくことはなかった。パリから旅行に来ている美しい女の名はギャビイ。彼女に出会った瞬間、ペペはカスバが自分にとっての牢獄であることを悟ってしまう。彼にとって、ギャビイは故郷パリの象徴。つかの間の逢瀬さえも、彼はギャビイという〈女〉を抱いたのではない。彼はその腕で、遠く離れたパリという〈街〉を抱いたのだ。遠く離れ、もう決して戻ることはできないパリの街の匂い。それが逃亡者であるペペ・ル・モコの心にある、望郷の思いに火をつける。

 破滅的なクライマックスに向けて盛り上がって行くサスペンス。裏切り者の男を、酒場の2階で射殺するシーンの迫力。カスバの階段を、全速力で駆け下りるシーンの緊迫感。(これは2度あるが2度ともいい。)そして、あのラストシーン。船の上にいるギャビイを見つけ、大声で彼女の名を呼ぶペペの声は船の汽笛にかき消されて彼女には届かない。ペペにとってのパリである女は去り、ペペは鎖につながれる。ペペの頬を伝う涙には、僕も泣けた。



ホームページ
ホームページへ