エヴァの匂い

1995/06/18 シャンゼリゼ
女のために破滅する男を描いた後味の悪い映画。
天地創造以来、女は潜在的に男の敵である。by K. Hattori



 なんというか、後味の悪い映画だった。もちろん、この映画に拍手喝采する男がいたら、それは男から見れば裏切者である。すべての男にとって、この映画は切実すぎる。ジャンヌ・モロー演じる悪女エヴァに翻弄される作家に、同情を禁じ得ない。馬鹿な奴だと思いながら、たぶん自分も同じ立場になれば同じように行動してしまうであろうという思いに、心は千々に乱れるのである。とほほほほ。

 エヴァとは、聖書で夫アダムを誘惑する人類最初の女の名前である。キリスト教社会では、そもそも人類最初の男からして、女のために破滅しすべてを失ったということになっている。その時、男は女を恨んだだろうか。楽園を追放されるとき、わが身の愚かさを呪いながら、それでも男は女を恨みはしなかったに違いない。男は女なしでは生きてゆけないのだ。女のために破滅するのは本望なのだ。一方で、女は自分の浅はかな行動をかえりみて、それを呪っただろうか。たぶん、そうはしなかったと思う。女は自分が悪いことをしたとは、決して思っていなかったに違いない。

 作家がエヴァといるところを妻に見つけられる場面は緊迫したシーンだが、ここで画面には楽園から追放されるアダムとイブの絵をさりげなく(でもないね。かなり露骨にだ)映してみせる。作家ティヴィアンがこの瞬間にすべてを失ってしまうことを、この1枚の絵画が象徴している。妻は逃げるようにその場を立ち去り、そのまま自殺する。男はエヴァを失い、妻も永遠に失った。妻の棺を乗せた小船の上に、悄然と立つ男は、これに懲りているか。いやいや、じつはぜんぜん懲りていないのである。彼は妻に死なれた後も、まだエヴァを追いかけ回す。絶対に自分にチャンスが巡ってこないことを知りながら、それでもやめられない。ああ、惨めな男だ。

 ヴェニスとローマを舞台に、フランス社交界で浮き名を流す悪女と、イギリスの炭坑町出身の作家がからむ物語。女の正体は不明。男は兄の作品を盗んだ偽作家。要するにこの映画は、登場人物全員が根無し草、異邦人だからこそ成り立つ物語でしょう。ここには生活というものが描かれていない。身過ぎ世過ぎのリアリティがあれば、男はここまで女にのめり込まなかったかもしれない。盗んだ小説が映画化され、入ってくる名声も金銭も、本当は自分のものではないというあせり。自分に寄り添う女にも、本当の自分が見せられない。そんな中で、男はエヴァだけには自分の弱みを見せてしまう。辛いなぁ。

 ジャンヌ・モローのふてぶてしい悪女ぶりに比べ、スタンリー・ベイカー演ずる作家がいまひとつ冴えなかったのが残念。彼の芝居にもう少し厚みがあれば、この映画は傑作になっていたと思う。お話の意味するところはわかるが、のれない映画だった。


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