十三人の刺客

1995/06/24 並木座
東映のスターシステムを使って『七人の侍』を撮ったらこうなった。
最後の乱闘は千変万化の殺陣を楽しめる。by K. Hattori



 脚本の池上金男は『四十七人の刺客』の原作者でもある。『十三人の刺客』はほとんど『四十七人の刺客』の雛形のような映画です。人物配置、演出スタイル、エピソードなど、かなり似通っている。老中の密命により地方大名の暗殺を請け負った片岡千恵蔵が、てだれの仲間10数人と共に、参勤交代で国に戻ろうとする大名一行を襲撃するという物語です。大名側にも頭の切れる男がいて、暗殺計画にそれとなく気がついているというのがミソ。互いに相手を出し抜き、裏をかきながら、最後の大乱闘に向かってテンションが上がって行く。見事なものですね。たぶん、当時のチャンバラ映画としては画期的な作品だったのでしょう。

 ただし、こちらはデジタル時代の悲しさで、ついついこの映画を黒澤の『七人の侍』と比べてしまったりするわけです。すると、何のことはない、この映画は半分ぐらいが『七人の侍』の焼き直しなのですね。西村晃演ずる剣豪の役どころなど、『七人の侍』で宮口精二が演じた久蔵をどうしたって連想させるし、三船が演じた菊千代に該当するのが、山城新吾演ずる地元郷士の若者だろう。村を丸ごと改造して要塞にするというアイディアも、別に新しいものではあるまい。むしろ、『七人の侍』の方が地図の使い方などはうまかったと思う。乱闘シーンも合理的にできていた。

 映画は前半の方がムードがあり、面白いと思う。後半実際に大名行列を襲撃する場面になると、各人の位置関係がわかりづらく、映画にのめり込めない。数十人の男たちが血刀ぶらさげて走り回るだけの映画になってしまうのでは、単調でしょうがない。ここは地図を使って、集落がどう要塞化されているのかをていねいに描くべきだし、暗殺ターゲットである大名その人がどのように追いつめられているのかを地図上にプロットするぐらいの親切心がほしかった。また、江戸時代の話であるにも関わらず、『七人の侍』にすら登場した鉄砲が襲撃で使われないのは解せない。橋のシーンでは鉄砲が現れるのだから、製作者側の視野に鉄砲はあったはず。それを使わせないのが〈東映時代劇〉という枠組みの限界かな。同じように、追いつめられた殿様を千恵蔵がなかなか斬らず、長々と口上を述べるあたりも、やはり東映時代劇くさいんだなぁ。

 戦いが一段落した後に、西村晃が斬り殺される場面は壮絶残酷の極み。ひとたび刀を手にすれば無類の強さを発揮する剣豪も、刀がなければただの人。見苦しく逃げ回ったあげく、さして強そうでもない相手方の侍にむざむざと殺されてしまうのだ。もっとも、こうした場面は黒澤の『羅生門』にもあったはずで、やはり時代劇における黒澤の功績というのは偉大だと言わざるを得ませんね。


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