耳をすませば

1995/09/10 日比谷映画
絵に描いたように爽やかな男女交際は気恥ずかしいほど。
日常の細部を徹底して描く姿勢に脱帽。by K. Hattori



 アニメならではのファンタジックな物語です。内容的には実際の俳優が実写で演じてもまったく問題なさそうな物語だけれど、そうなると生身の肉体が持つ生臭さが、この映画の持つ透明感を消し去ってしまったと思う。

 僕は主人公たちのまっすぐな生き方に好感を持ったのだけれど、この好感は「共感」というものではないと思う。おそらく、この映画に心から共感を覚える幸福な観客もいるのだろうけれど、僕はそうした幸福を味わうにはいささか年をとりすぎている。かと言って、これを主人公たちと同世代だった頃の僕が観たら感動したかと言うとさにあらず。おそらく気恥ずかしくて、観ちゃいられなかったと思う。

 今も、これを気恥ずかしく思う中学生の観客は多いんじゃないかなぁ。人間、あまり身近な話題には嫌悪感さえ持つものです。主人公が英語のポピュラーソングを一生懸命日本語に訳したりする姿も、結構背中がむずかゆい。ましてや、ボーイフレンドのバイオリンに合わせてそれを歌い、そこに少年の祖父たちが混ざって即興の演奏を繰り広げるあたりの恥ずかしさったらない。これはアニメだから許されることですよ。これがもし実写の映画だったら、あまりの恥ずかしさに僕は寝たふりを始めたことでしょう。ほんと、アニメで良かった。それに、僕はもうこうした恥ずかしさに対してある程度免疫がありますから、こんな場面もニヤニヤながめるだけで済んでおります。結局、あの展開もお約束だしね。

 それより、生活の細かいディテールがきちんと現代の生活を描写していることに驚きます。現時点の日本映画で、これほどきちんと普通の人の生活を描いているものが他にあるだろうか。日本人のほとんどが自分たちの生活を「中流」と規定している中で、その中流家庭の実体を精密描写してみせるこの映画の姿勢には感心しました。

 アニメの絵作りの点では文句ありませんが、今回の作品で取り入れられたドルビーデジタルステレオの音響効果は、ちょっとやり過ぎという印象を持った。画面の外に人物が移動すると、ちゃんと台詞が画面の外から流れるという凝った作りなんだけど、逆にその凝り方に気を取られてしまうんだよね。ハリウッドのアクション映画だって、こんなにステレオの効果をばんばん使うことはあまりないよ。少なくとも日常描写の部分ではステレオの効果を控えめにして、ファンタジーの部分でぐぐっと3Dの効果を出すなど、何らかの使い分けが必要かもしれない。これは今後の課題でしょう。

 取り立てて大きな感動はないけれど、技術的にも内容的にも、日本アニメ映画の水準を示す作品でしょう。アニメならではの映像から受ける快感というものが、もう少し欲しい気もするけどね。


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