エンドレス・ワルツ

1995/10/21 新宿ピカデリー2
若松孝二が実在した70年代の青春を力強く描いた傑作。
身体がをゆすぶられるような感動に襲われる。by K. Hattori



 今年の邦画ベスト10上位入賞確定の力作。70年代を生きた実在のカップルを描きながら、時代風俗の描写に流されず、普遍的な男と女の物語として見応えのある映画になっている。監督の若松孝二は、映画のモデルになったカップル(サックス奏者の阿部薫と作家の鈴木いづみ)と、生前面識があったという。そうした思い入れたっぷりの素材を扱いながらも、過度に感傷的になることのない筋はこびは、主人公たちをある時は突き放し、ある時は包み込むような優しさと同情で描き出す。

 70年代という近過去を舞台にしたため、ロケ撮影は難航したという。この20年で、東京の街は大きく姿を変えてしまった。映画では結果としてロケーションを大きく減らし、主にセットを使った室内シーンが多くなっている。この映画は風俗描写を大幅に割愛したことで、逆に主人公二人のドラマをクローズアップし、ある時代の中にもまれる男女の話を、いつの時代にでもいそうなカップルの物語へと昇華することに成功している。

 激動の時代に生きた実在のカップルを描いた映画として、この映画を、例えばオリバー・ストーンの『ドアーズ』と比較すると、映画『エンドレス・ワルツ』の意図はそれと正反対の位置にあることがわかる。『ドアーズ』なんて、しょせんは当時の風俗しか描いていないではないか。あんなものはビン詰めにして、博物館の棚にでも陳列しておけばいい。あの映画には、なんの同時代性もない。単なるレトロ趣味、おじさんが昔話しているだけの話だ。

 この映画の中で、編集者から薫の話を書いてくれと請われたいづみは「彼のことは、思い出じゃないんです。今も続いているんです。多分これからもずっと……」と答える。そう、この映画の主人公たちの生き方は、70年代という時代の中にとり残された風俗の一断面ではないのです。多分、この映画を観た人の中に、薫といづみは生き続ける。これからもずっと……。

 いづみを演じた広田玲央名と、薫を演じた町田町蔵の演技が光る。特に町田は、むき出しの感性がぎりぎりの社会性でつなぎ止められているような、危ういキャラクターを演じきった。いつも潤んだ目で遠くを見るような薫の表情は、強く印象に残る。

 運命的に出会ってしまった恋人たち。互いに触発し、同時に傷つけ合い、互いをなじり呪いながら、それでも別れられない二人。結局ふたりは、どうしたって惹かれ合ってしまうのだ。北海道から帰ってきた薫が、玄関先に荒巻鮭を持って現れるところで、僕はなぜだか涙が出た。薫はつかの間のやすらぎの中で、一言もしゃべることなく逝ってしまう。いづみが薫を看取るシーンは映画の白眉。死んではじめて安らげる関係なんて、ただただ悲しすぎる。


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