忠次旅日記

1995/11/02 フィルムセンター
日本映画史に残る伊藤大輔監督・大河内伝次郎主演の傑作も、
残っているのはズタボロのフィルムの残骸のみ。by K. Hattori



 戦前の時代劇の傑作であると同時に、日本映画のオールタイム・ベストの誉れ高い映画。主演の大河内傳次郎と監督の伊藤大輔のコンビ作はいくつかあるし、大河内には後に『丹下左膳』という人気シリーズがあるけれど、監督の伊藤大輔にとっては、この『忠次旅日記』が生涯を代表する1本の映画ということになるのでしょうか。伊藤大輔は晩年全集に収録された自作について語るインタビューの中で、『忠次旅日記』についてはほとんど語ろうとしなかった。この映画はそれまでにさんざん語られ、評価も定まってしまった映画なので、今さら作者が何を言おうと言うまいと……、という心境だったのかもしれません。

 とは言え、この映画は長らくフィルムが失われており、観た人にしか語ることの出来ない幻の映画でした。最近フィルムが発見されて話題になりましたが、それでも現在フィルムセンターで観ることが出来るのは三部作の内の半分以下、『信州血笑篇』のごく一部と『御用篇』の大部分。フィルムの保存状態も悪かったようで、全編ザラザラのバリバリ状態。せめて全く観られないよりはマシという程度だ。しかし、フィルムの保存状態以上に、やはり欠落した前半部分が見られないのは致命的だろう。

 永田哲朗は「殺陣・チャンバラ映画史」の中で『『忠次旅日記』で、捕り方に囲まれた忠次が背中におぶった勘太郎に「目をつぶっていな、十数えたらいいぜ」といって、一ツ、一ツと捕り方を斬っていった胸のすくような立回り。あるいは、階段から駆け下りてきて、かかってくるのを二、三人サッと斬りすてると、そのままふり返りもせず、表へ鉄砲玉のような勢いで飛び出して行く、その後ろ姿の美しさなど、まさに絶品といってよかった。』と絶賛しているが、こうした場面は復元されたフィルムの中に含まれていない。同書は続けて『こうした颯爽としたところを見ているからこそ、『忠治旅日記・御用篇』で、中風を病んで足腰立たない忠治が、ふるえる手で愛刀小松五郎をつかもうとして、もうつかむ力すらない悲惨さが観客の胸を打ったのだ。』と締めくくるが、現在のフィルムには前半の颯爽とした忠治が描かれていないため、こうした感動が観客に伝わるかどうかは怪しい。多少のフィルムが発見されたとはいえ、現代の観客が『忠治旅日記』本来の醍醐味を味わうことは不可能だろう。まさに幻が幻たるゆえんだ。

 日本映画が誇る傑作『忠治旅日記』は、フィルムの断片が発見された今でも、この映画が封切られた当時の観客の記憶の中にだけ残る幻の名画だ。映画も永遠ではない。形あるものはいつか失われる。結局最後に残るのが観客の記憶と感動だけだというのも、これはこれでいい話だと思う。


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