私に近い6人の他人

1995/12/04 シャンテ・シネ1
ニューヨークの高級アパートに現れたひとりの黒人青年。
舞台劇の映画化らしく会話がしゃれている。by K. Hattori



 マンハッタンの高級アパートに、息子の友人だと名乗る見知らぬ男が訪れたことから始まるミステリー。セントラルパークで強盗に襲われて負傷し、たまたま近所にある友人の実家を訪ねたのだという黒人青年は、知的で洗練されていて教養があり、人を魅了する巧みな話術とたち振る舞いでたちまちその場の人々の信頼を得る。青年は自分を黒人俳優シドニー・ポアチエの息子だと言い、父親が映画化のプロジェクトを進めているミュージカル「キャッツ」に皆さんをエキストラ出演させましょうとじつに調子がいい。結局この青年は真赤な偽者で、ポアチエには同じ年頃の息子はいないし、ハーバード大学に通う子供たちにも該当する黒人の青年はいないということが発覚して大騒ぎ。いったい彼は誰だ?

 物語は問題の黒人青年の正体探しに狂奔する大人たちの姿を追いかけるが、このミステリーが暴こうとしているのは、ひとりの黒人青年の正体ではなく、人々の心の中にある様々な謎についてなのだ。思いがけない事件に遭遇したとき、人々は自分でも知らなかったもうひとつの自分の姿に向き合うことになる。物語の中心人物を演じる黒人青年は、じつは他の登場人物たちの姿を克明に写し取る鏡の役割を与えられているのだ。

 身の振り方に余裕のある大人たちは、自分の本性を偽り粉飾しながら行動している。自分の本来の姿に社会性という一枚の仮面を付けて、周囲と不必要な軋轢のない社交性を身につけている。しかしそこに現れたひとつの異物が、そんな社会性の欺瞞を暴いてしまう。その様子は辛辣で容赦のないものだが、一方で滑稽ですらある。

 原作は舞台劇らしいのだが、言われてみればまさに舞台劇的な筋立て道具立て。それに対して映画は映画ならではの時間の処理で、この不思議な物語を語ってくれます。舞台劇っぽさでは、むしろ少し前に観た『黙秘』の方が舞台の雰囲気だった。

 残念なことに、僕はこの映画をとくに面白いとは思わなかった。ユーモアとギャグの希薄なウディ・アレンの映画のようで、観ていて退屈。観る人が観ればおしゃれな映画なのかもしれないけれど、僕はもっとゴテゴテ語る映画の方が好きなのです。

 僕はハッピーエンドを絶対支持する人間なので、この映画の終わり方には納得がいかない。都会に暮らす人間たちの希薄な人間関係や、ひとりひとりの人間の孤独を描きたいのだろうが、最後にはもっと人間の善意を信じた楽観的なエンディングがほしかった。タイトルが『私に近い6人の他人』なので、人間関係が多少よそよそしいのも仕方ないのかなぁ。これが『私に近い6人の友人』とかだったら、もう少し別の話になっていただろうに。

 でも、最後まで温かい雰囲気の映画でした。


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