8月のメモワール

1995/12/06 日比谷映画
ケヴィン・コスナーとイライジャ・ウッド主演の素朴な反戦映画。
テーマが強すぎてエピソードが負けている。by K. Hattori



 深刻な内容のわりにはつまらない映画だった。原題は「The War」。ベトナム戦争で心に傷を負った父親と息子の物語だ。父親役はケヴィン・コスナー。息子がイライジャ・ウッド。はっきり言って、このイライジャ・ウッドという子役が僕は嫌いだ。いつもびっくりしたような目を大きく広げているのだが、あの目が主張しているのは「僕っていい子です」という一点だけなんだよね。だから『ノース』のような優等生役は彼によく似合う。でも、この映画のような腕白小僧はウッドのがらに合わないのだ。坊主頭にしてどんなにやんちゃに振る舞っても、どこかで「僕っていい子です」という表情が消えていない。時々奴をひっぱたきたくなる。

 映画は全てどこかで見たことのある描写ばかり。子供たちが木の上の砦を巡って争う内に、抗争がどんどんエスカレートして戦争さながらになるところは、ロビン・ウィリアムズ主演のファンタジー映画『トイズ』を連想させる。少女が夏休み明けの授業で作文を読むラストシーンは、『マイ・ガール』でも見ることができる。時代背景を演出するためにオールディーズの名曲を使うのは『スタンド・バイ・ミー』からのいただき。頭の弱そうな子が、ひとりで吸水塔に上って大騒ぎになるのは『ギルバート・グレイプ』にも出てきたエピソードでした。こうした脚本段階での発想の貧困さにはうんざりする。

 登場人物の動きや描写がいかにも薄っぺらで、みんながみんな予定された動きの中からはみ出して行くようなところがない。父親が死んでしまうというのが予想外といえば予想外だが、本来ならこの映画で一番泣かせどころになるはずのこの場面も、なぜか父親が死ぬ場面は画面に現れず、ただ「お父さんが亡くなったわ」という台詞だけ。これには釈然としなかった。ここは絶対に死ぬ場面を入れるべきだ。

 もちろん、印象に残る場面がないわけではない。双子の姉とその友人の黒人少女とのエピソードで、黒人の少女の台詞がいかにも歯切れよく発音され、まるでラップミュージックのようだった。それと同じ口調で、露骨に黒人差別をする教師に抗議するのだから、この場面は見ていてすかっとした。ただ、これは映画自体の責任ではないのだが、物語の前半で、少女の台詞の中に明確に「ニガー」という蔑称が含まれているにも関わらず、それをぼかした表現にしてしまう字幕には疑問を持つ。ここをぼかしたら、前後の話が通じなくなるんだけどなぁ。

 ほとんど見るべきところがない映画だけど、唯一ケビン・コスナーの芝居は注目に値する。しばらく続いたスーパーヒーロー路線から離れた彼の演技は、『フィールド・オブ・ドリームス』と同じくらい好感が持てた。押さえた芝居の中に、男の本当の優しさと強さがにじみ出る。彼こそ、男の中の男です。


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