ドクトル・ジバゴ
製作30年 復元版

1996/01/14 銀座文化劇場
戦乱と四季の移ろいの中で惹かれあい求め合う男と女のメロドラマ。
大画面に広がる文芸超大作の風格ある映像美に酔った。by K. Hattori


 オマー・シャリフは熱演だけど、この映画を観て彼の演ずるドクトル・ジバゴに共感する観客なんているんだろうか。僕はむしろ、ジュリー・クリスティー演ずるラーラに感情移入して映画を観ていました。真面目な青年を恋人に持ちながら、母親のパトロンでもある中年男に誘惑され、身体を許してしまうラーラ。「肉欲は弱いものではない。強いものだ。それが許されるのは夫婦の間だけである」という神父の忠告にも関わらず男とのセックスに溺れて行く女。母親は男と娘の関係に感づいて自殺未遂。自分の罪の大きさを畏れるラーラは男と別れようとするが、自分の身体は男を容易に受け入れてしまう。彼女は男を射殺しようとするが、これは半ば男に対する八つ当たりでもある。彼女が本当に殺したかったのは、自分自身だったのだろう。でも、彼女の生命力が自分自身に対する暴力を許さない。

 彼女は結局、以前からつき合っていた真面目な青年と結婚するのだが、夫は妻と中年男の関係を知った上での結婚。一見この夫は包容力のある寛大な男に見えるがさにあらず。夫は彼女に対する屈折した気持ちを抱えたまま、彼女のもとから逃げ出すように軍隊に入ってしまう。この夫が軍隊の中でどんどんサディスティックな男になって行くのだが、その原因が妻に対する押さえようのない嫉妬と、セックスに対するコンプレックスがあることは間違いない。彼の残虐さはセックスの代償行為なんでしょう。倒錯してますが、こうした倒錯したセックスを描かせるとデビッド・リーンは旨いね。じつにわかりやすく露骨な描写を、上品でエレガントに仕上げてのける。さすが『アラビアのロレンス』の監督です。

 ラーラは従軍看護婦として働くうちに、従軍医師のジバゴと知り合い互いに惹かれて行く。戦場で別れたふたりは偶然再会し、今度は大輪の恋の花を咲かせる。ジバゴは妻子持ちだから不倫です。ラーラの夫だって兵隊に行ったまま帰らないだけなんだから、要するに双方共に別の家庭を持っているわけ。これはモラルが後押しして当然悲恋になることがわかっているんだけど、それぞれの家庭の描写が薄いから「モラルに反した恋」という雰囲気が伝わってこない。30年前には伝わっていたのかなぁ。

 ラーラは強さも弱さも合わせ持つ魅力的な人物像に作り上げられていて、この映画の中では一番輝いている。でも、これって結局「男性の目から見た」女性像なんだよね。「若い女なんてやっちゃえばこっちのもん」的な序盤から、最後は「母は強し」的な落ちつきどころを見せる。言ってみれば、ステレオタイプな女性像の集大成。別に目くじらたてているわけではなくて、それでも魅力的なんだからしょうがないよね、という話です。


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