ショーガール

1996/01/25 スカラ座
ラスベガスを舞台にしたストリッパー版『四十二番街』だが演出がピント外れ。
ポール・バーホーベンにミュージカル映画は撮れない。by K. Hattori


 できそこないのミュージカル映画として観ると、それなりに作り手側の意図も見えてこようかというもの。これは現代風にアレンジされた往年の傑作ミュージカル映画『四十二番街』なのである。田舎から出てきてミュージカルのオーディションを受けた娘が、主役の怪我から代役に大抜てきされ、一夜にしてスターになるという罪のないお話。それを今風に再構成するにあたり、ミュージカルのオーディションでは『コーラスライン』の亜流に見えかねないので、舞台を思い切ってラスベガスのショーダンスの世界に移し、主人公の娘に暗い過去を持たせ、ショービジネスの世界の薄汚い裏側を少々まぶし、スターダンサーの怪我の原因が事故ではなく故意だった……、という風にひねって行く。

 どんなに新味を出そうとしても、この映画もしょせんはミュージカル映画の予定調和の中にある物語ですから、結局はどのエピソードも中途半端になる。話の筋自体はきわめてシンプルなのだから、もっとストレートに物語を進めて行けばいいのだが、なんと言っても監督にポール・バーホーベンを持ってきたのが最悪だった。この人はミュージカル映画に不可欠な軽やかさという感性を微塵も持っていない人で、物語としては本来脇筋のセックスや暴力の描写のみをどんどんエスカレートさせてしまう。主人公がプロデューサーに色仕掛けで迫る場面は長すぎるし、友人の黒人衣装係が残酷にレイプされる場面は不要なのだ。あんなもの、何があったかをほのめかせば話は進行します。

 それ以上に、本来ならもっと生きてこなければならない場面がぜんぜん生きていないのは許しがたい。ショーに出演している主人公を、昔のストリップショー時代の仲間が訪ねてくる場面などは、もっとウェットな描写でたっぷりと見せてもらいたいところ。こういうのって定番じゃん。定番の描写がきちんとできないってのは、もう演出者として失格です。

 ショービジネスの世界の裏側なんて、『オール・ザット・ジャズ』でボブ・フォシーがたっぷり見せているからもう結構です。『ショーガール』のドラマ部分はステレオタイプなメロドラマに過ぎない。バーホーベンがそれを血液と精液まみれの下品なドラマに仕立てているだけです。

 この映画の致命的な欠点は、そもそもショーの場面がぜんぜん魅力的じゃないことなんだ。セットも豪華だし、ダンサーも揃っているのに演出がおざなり。『四十二番街』はバズビー・バークレーのレビュー場面があってこその傑作。『オール・ザット・ジャズ』もショーの場面は最高にスリリングだ。バーホーベンもショー場面は、それ専門の監督に任せるべきだったんじゃないだろうか。


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