クリムゾン・タイド

1996/01/26 文芸坐
潜水艦という密室を舞台にデンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンが対決。
トニー・スコットの演出は円熟味を増してきた。by K. Hattori


 デンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンが主演の軍隊ドラマ。潜水艦が舞台の映画というと、最近では『Uボート』や『レッド・オクトーバーを追え』が印象に残るが、古今東西この素材をネタにした傑作名作は数知れず。映画の中でも潜水艦搭乗員たちが移動のトラックの中で、映画のタイトルを織りまぜたクイズをやっていた。この映画はそうした潜水艦映画群の最後尾に位置しながら、先達たちの衣鉢を継いだ傑作に仕上がっている。

 脚本のアイディアが素晴らしい。ロシア内部の反乱が一触即発の世界戦争の引き金になるという設定はいかにも今風だが、こうした設定のおかげで、これ以降に起きるさまざまなドラマがひとりアメリカ軍内部の問題に集約されてゆく。外部に敵はない。かといって、内部にも敵はいない。デンゼル・ワシントン演じる副長の台詞通り、まさに目の前で対峙している敵は戦争という行為そのものなのだ。

 キャスティングの妙も光る。30年来の軍隊暮らしがすっかり板に付き、家族とも別れ、潜水艦一筋に生きてきた筋金入りの艦長にジーン・ハックマン。この人はどんなに強面に演技しても、その下に滲むかすかな人間味を感じさせるところがいい。今回は『許されざる者』の保安官や『クイック&デッド』の無法者の延長にある役だけれど、どの役柄も悪役ながら人間的な魅力たっぷりの男たちです。

 対するデンゼル・ワシントンは、大学出のエリート士官。職務に忠実で有能な実績を上げながら、妻と幼い子供たちを大切にする人間像は、『フィラデルフィア』の弁護士役に近い雰囲気。ハックマンが剛の人だとすれば、ワシントンは柔の人です。

 ハックマン演ずる艦長の「我々は民主主義を守るが、我々にそれは適用されない」という台詞は、軍隊の本質を見抜いた厳しいもの。生きるか死ぬかを目の前にした戦闘の中では、話し合いも人権も無意味だ。多数を守るためには、少数の犠牲を厭う余裕はない。ワシントンも戦闘の中で数人の部下を犠牲にしたとき、それを思い知らされることになる。軍隊をしばっているのは、厳格なルールだけである。

 艦内でのふたりの対立は、単にミサイルを発射するか否かという点にあるのではない。日本人は好意的な誤解をしそうだが、映画の中でミサイル発射に反対している副長も、命令が正式なものなら躊躇することなくミサイルを発射するはずだ。ふたりの対立はルールをどう解釈するかという些事にある。こうした些事が、破滅的な世界戦争を引き起こしかねないとしたら恐ろしいことである。

 監督のトニー・スコットは前作『トゥルー・ロマンス』とはうって変わった硬派な演出。同じ軍隊ドラマでもかつての『トップ・ガン』に比べると遥かに円熟した手腕で、その成長ぶりに感心しました。


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