憎しみ

1996/03/13 シャンテ・シネ3
この映画を観てスパイク・リーの映画を思い出す人は多いだろう。
でもこの結末はもっと悲観的なのだ。by K. Hattori


 ロードショウ終了寸前に滑り込みで観たが、地味そうな素材のわりに映画館は盛況。平日最終回の上映で、久しぶりに立ち見をすることになった。シャンテ・シネ3は座席のレイアウトが途中入場を許さない雰囲気の作りとなっており、中央付近に空席がありそうな雰囲気だったものの両脇の通路からはそこに到達できそうもなかった。劇場として、このレイアウトは不合理。座席数を確保したいのはわかるが、やはり中央にもう一本通路が欲しい。立ち見は肉体的にはかなりの負担だが、この日は疲れていたせいかやたらと眠く、立ち見だったおかげで上映中に眠りこけずに済んだようなものだから、人間なにが幸いするかはわからない。

 モノクロームの粗い映像が効果的。この映画をカラーで撮ると、たぶん変にファッショナブルな映画になって、青年たちの陰鬱なエネルギーが表現できなかったに違いない。1丁の拳銃と少年たちの物語としては、DJ志願の黒人少年を主人公にした『ジュース』というアメリカ映画があったことを思い出した。どちらも最底辺の世界から何とか浮かび上がろうとする少年たちのギラギラする情念に満ちた映画だが、最後は活劇にしてしまった『ジュース』に比べると『憎しみ』のやりきれなさは際立っている。

 少年3人組の人物造形がそれぞれよくできていて感心する。エピソードの積み上げにも無理がない。観客をぐいぐい引きつけるような魅力にやや欠けるような気もするが、これは僕が眠気でぼんやりしていたせいかもしれない。映画を観るには体調も大事である。元気なときに観ればまた印象が違ったものになっていた可能性は十分にある。

 パリ郊外の移民街と、エッフェル塔を望むパリ市街が舞台になっているが、夢のように見えたパリの街の表情が日没と共に豹変し、どうしようもなく絶望的な風景になるあたりはうまい対比。「いつかこの街を出てやる」と口癖のようにつぶやく少年たちがパリで思い知らされたのは、どこに行ったって自分たちの境遇は変わらないという現実だった。不条理な敵意と突発的な殺意が交錯する夜のパリは、皮肉なことに魅惑的で、石畳に落ちる街頭の光などは絵はがきのように美しい。

 画廊のパーティーに紛れ込んで食事をしたり、そこで女の子をナンパしたり、路上に駐車してある車を盗もうとする場面は、おそらくこの映画の中でもっとも楽しい場面でしょう。一方、少年たちが自警団(警察かな?)にリンチすれすれの虐待を受ける場面や、店にはいることを断られたギャングが突然発砲する場面などは、肌に突き刺さるようなリアリティを感じさせられる。ぎりぎりまで引き絞られた緊張感からふと解放された直後の魔が差したようなエンディングは、あまりに劇的でショックでした。


ホームページ
ホームページへ