トキワ荘の青春

1996/04/09 テアトル新宿
挫折する青春の物語だけど、市川準の視線はあくまでも優しい。
昭和30年代に実現した伝説的なトキワ荘を描いた映画。by K. Hattori


 トキワ荘は神話の舞台です。僕と同じぐらいかそれ以上の世代にとって、漫画家はあこがれの職業でした。当時漫画家志望の少年少女たちのバイブルであった石森章太郎の「マンガ家入門」や、藤子不二雄の「マンガ道」に登場するトキワ荘は、手塚治虫・藤子不二雄・石森章太郎・赤塚不二男らがほぼ同時期に暮らし、膨大な数の作品を生み出していた聖地です。この映画の主人公である寺田ヒロオは、そんな伝説と神話に彩られたトキワ荘の物語に登場する、主要な中心人物のひとりです。

 石森や藤子の描くトキワ荘の青春譚は彼らの自伝であり、寺田ヒロオは重要な脇役に過ぎません。この映画は従来脇役であった寺田を主役にすえたことで、石森・藤子・赤塚など後の売れっ子漫画家たちの姿を、少し離れたところからながめる構成になっている。寺田を兄貴のように慕う若者たちが次々と売り出し、トキワ荘全体が漫画熱に浮かされて行く中で、寺田はひっそり漫画家としての筆を折る。同じように漫画に対する情熱を持ちながら、漫画家を辞めざるを得なくなってしまう寺田の少し醒めた視線が、第三者的に若い漫画家の卵たちを見つめている一方で、寺田自身の思いや悩みも丁寧に描写されているのがよい。それまでの「頼れる兄貴分」という寺田像とは少し異なる、新しい寺田の青春像ではないでしょうか。

 パンフレットの解説を見て驚いたんだけど、トキワ荘の漫画家たちは手塚から最年少の石森まで、たかだか10年しか年齢が離れていないんですね。それでも藤子たちには手塚が神様。これは手塚自身の才能の大きさでであると同時に、この当時の漫画がいかに若いメディアだったかの証明でもあるのです。

 映画の中で寺田が「僕の漫画は古い」とつぶやきますが、おそらく手塚と寺田は同じような漫画経験の中から登場した人なんでしょうね。手塚は漫画表現の革新者で、漫画の歴史の中では手塚以前と手塚以後とがはっきりと別れてしまう巨人です。藤子以下トキワ荘の若手たちは、例外なく手塚の影響を受けている。そんな中、ただひとり手塚とは別の路線で漫画を描き続けていたのが寺田なんでしょう。彼は手塚の崇拝者になるには少し早く生まれすぎた。漫画が全ての例外なく手塚調に塗りつぶされて行く、ちょうど過渡期に寺田は立っていたのです。

 寺田は自らの作家性と雑誌の商業主義の軋轢に苦しんだ末に筆を置きますが、彼の描いてきた漫画が劣っていたわけでは決してない。彼の描いた漫画はきちんと読者の心に残るものでした。映画は草野球に興じる子供たちの声で終わります。子供のユニフォームの背中に「背番号0」が縫いつけてあるラストシーンは、ものを作る人間に対する熱いメッセージになっています。


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