どんな時も

1996/04/14 東條会館ホール
思春期を迎えた少年が自分の気持ちをもてあましてる様子が伝わってくる。
豪華な脇役連が物語に厚みを与えている。by K. Hattori


 思春期を迎える少年少女の肉体的なコンプレックスを真正面からテーマにした、良心的な映画だと思う。ただし映画としては華がない、地味な作品だ。主人公アンガスをいくら劇中で文武両道だと描いたところで画面に映るのはやはり単なるデブでしかないし、あこがれの少女メリッサを演じたアリアナ・リチャーズも『ジュラシック・パーク』に出ていたと言われて「ああ、あの子」とかろうじて思い当たる程度の存在感のなさ。この映画に出演しているビッグネームと言えば、よぼよぼのジョージ・C・スコットと芝居はうまいが華やかさとは無縁のキャシー・ベイツだもんね。

 オープニングはうまい。主人公が生まれてから現在に至るまでを、ナレーションと映像で巧みに組み上げて行くのだが、リックとの確執の歴史、相棒トロイとの出会いと友情、少女メリッサとの運命的な出会いなどを短時間で見せてしまう。フットボール競技場で鼓笛隊の演奏とテーマ曲をうまくかぶせるあたりはワクワクする。だがテンポがよかったのはここまでで、あとは平均点の水準をクリアするだけ。悪くはないんだけど、内容が地味だからもう少しなんとかならないものかとも思う。

 いじめられっ子である主人公が学友たちのいたずらでダンスパーティーのキングに選ばれるというのは、デ・パルマの『キャリー』を思わせる展開。当然パーティー当日には度を超したイタズラで、主人公が地獄の底までまっ逆さまに突き落とされることになる。周囲の哄笑の渦の中、なすすべもなく立ち尽くす主人公アンガス。でもこの彼には秘められた超能力なんてないから、パーティー会場が血塗られた修羅場になることはない。アンガスはアンガスのやり方でこの場を切り抜け、逆にヒーローになる。「普通の人間なんていない。僕は僕らしく生きるんだ」というアンガスの叫びに、映画を観ているこちらまで拍手したくなりました。

 主人公アンガスや友人トロイの描き方に比べると、いじめっ子リックの人物像が平板でつまらない。幼い頃から何度もアンガスに鼻を折られ、腕力では彼にかなわないことを自覚しているはずなんだけど、そのあたりの屈折した陰湿さがもう少し欲しかった。ヒロインであるはずのメリッサに至っては、全編ほとんど台詞がない超地味さ。アンガスがなぜ彼女に惹かれるのか、明確に伝わらないのは残念。

 映画の中では、ジョージ・C・スコット演ずるおじいさんが、アンガスに本当の勇敢さを教える場面が感動的。学校でいじめられ、死ぬほど思い詰めている日本全国の小中学生諸君。彼の言葉を聞け。無敵のスーパーマンは、無敵であるがゆえに勇敢さとは無縁だ。本当の勇敢さは、自分の弱さを知っている普通の人間のものなのだ。


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