バルカン超特急

1996/04/29 銀座文化劇場
列車の中で消えた老婦人を巡るヒッチコックの傑作ミステリー。
後に2度再映画化された名作のオリジナル。by K. Hattori


 列車の中で親切にしてくれた老婦人が突然失踪。怪訝に思った主人公の若 い娘が周囲の乗客にたずねると、乗客たちは口々にそんな客は乗っていなか ったと答える。そんな馬鹿な。彼女は確かにいた。なぜ彼らは嘘をつくのか。

 この映画がよくできていると思うのは、乗客たちが嘘をつく理由が人それ ぞれだっていう部分でしょうか。ある者は秘密から目をそらすため、ある者 は保身のため、ある者はクリケットの試合のために娘の言葉を否定する。主 人公から見れば乗客全員がグルになって何かを隠そうとしているかのように 見えるかもしれないけれど、じつはぜんぜんそんなことはなくて、乗客たち はみんな自分たちのことしか考えていない。それが結果として、ひとつの事 実を隠蔽するかのように作用するところが面白いのです。

 先日TBSがオウムに坂本弁護士取材VTRを見せた問題についての特別 番組がありましたが、これなどまさに『バルカン超特急』の列車内と同じよ うな状況が局内で起こっているのではないでしょうか。インタビューされた 関係者たちは、皆口々に自分個人の小さな判断ミスは認めるが、局としての 共謀は否定する。映画で言えば、皆が皆クリケットマニアの英国人二人連れ や不倫のカップルみたいな、ある意味では罪のない弱い立場の人間だったと 主張しているわけです。でも本当のことを言えば、局内にはイタリア人の奇 術師もいれば、陰謀の中核にいる医者や看護婦だっているはずです。その正 体が暴けなかったのは局内取材の限界かなぁ。この問題については他局がフ ィクションとして描くしかないなぁ。

 何しろ50年以上昔の映画だから、トリックやサスペンス、スリラー描写 はいかにも古びて見えます。はっきり言って、トリックは途中からネタが割 れてしまう。今同じ映画を作るとしても、トリックの種やクライマックスの 仕掛けはもう一段ひねらないと駄目でしょうね。それとも当時の観客にもこ うしたトリックってはなからばれていたのかな。この映画ではトリックのネ タがばれていたらばれていたで、すぐに次のサスペンスを用意している周到 さが目につきますが、こうした描写を見る限りある程度謎解きの部分を捨て ても映画的なスリルを重視した演出になっているのでしょうね。

 主人公たちは結構危ない橋を渡っているのに、画面からは危機感がほとん ど伝わってこないのがこの映画の特徴かもしれません。猛スピードで疾走す る列車の窓から外に身体を出したとたんに、それまで一度も現れたことのな かった対向列車が現れるところなどは、それだけで観客の心臓を一気に縮み 上らせることが可能なはずだし、今の映画なら絶対にそうするでしょう。で もこの映画ではじつに淡々とこの場面を流してしまう。脚本家は泣いたでし ょうね。


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