デンバーに死す時

1996/05/18 丸の内ピカデリー1
アンディ・ガルシアがクリストファー・ウォーケンに見せた男の意地。
殺し屋スティーブ・ブシェミが激シブの怪演。by K. Hattori


 アンディ・ガルシア演ずる元ギャングが、堅気の事業の運転資金に工面を付けるために引き受けた簡単な仕事。昔の仲間を集めて仕事を始めたのはいいが、事態は思わぬことから取り返しのつかない失敗に終わる。ギャングのボスはこの失敗に対して「血の制裁」を宣告。ガルシアと仲間たちは殺し屋に追われることになる。

 ガルシアと『セント・オブ・ウーマン』のタンゴ女、ガブリエル・アンウォーのラブストーリーを思わせる広告展開だが、実際は次々と殺されて行くガルシアと仲間たちの最後の様子がヒロイックに描かれている映画だ。アンウォーはガルシアの最後に色を添える端役のひとりでしかない。

 ガルシアたちに処刑宣告するギャングの親分にクリストファー・ウォーケンが扮しているのは驚くようなキャスティングではないが、彼もいい年の息子を持つような歳になったんですね。銃撃されたことから半身不随になった車椅子のボスという設定で、車椅子から伸びたストローのような制御機器を時折口にくわえる仕草が、残酷な処刑宣告と好対照になっていて面白い。彼は直接的に動かないぶん、余計にねちねちと執拗にガルシアにからむ。その陰湿で陰険な性格は、殺し屋としてスティーブ・ブシェミを選ぶことからもうかがえるではないか。

 ブシェミは今回ひとこともしゃべらない凄腕の殺し屋ミスター・シーを演じているが、これがまたマンガみたいに強くて笑ってしまう。標的がかくまわれているギャングの巣窟に単身乗り込み、片っ端から相手を射殺してしまうあたりはできすぎで、演出がコンパクトにまとまっているからその場は嘘だと感じないが、やっぱりこれは嘘だよね。

 物語は死んで行く男達のエピソードが数珠つなぎになっているだけで、全体を通して大きな山場というのはない。殺される仲間たちの人物像も出来不出来にばらつきがあり、クリストファー・ロイド演ずるポルノ映画館の映写技師は出色だが、トレーラーハウスのウィリアム・フォーサイスと、いかれた葬儀屋トリート・ウィリアムズは並のでき。黒人イージーを演じたビル・ナンに至っては、何のために出てきたんだかわからない。こうした物語では、殺される前に人物の性格や行動パターンが一切合切観客に飲み込めていないと、殺されて行く場面での悲壮感が醸し出せないと思うのだが、この映画では仲間を集める場面に工夫がなくて、そうした予備知識を観客に周知徹底できていないのが難だ。

 登場人物の中で意外な拾いものは、ガルシアに子供がほしいとせがむヤク中の街娼フェアルザ・バーク。バークは『ガス・フード・ロジング』で妹のシェードを演じてた女優ですね。はっきり言って、この映画の彼女はアンウォーより光ってます。


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