レディバード・レディバード

1996/06/19 シネ・ヴィヴァン・六本木
6人の子供を次々福祉局に取り上げられた母親の実話を映画化。
怒りや絶望の果てにある人間の優しさと強さが感動的。by K. Hattori


 社会福祉局に母親としての資格なしと宣告された女性が、自分の生んだ6人の子供を次々と奪われてしまう様子が克明に描かれているのだが、これが実話だと言うのだから嫌になる。彼女の罪は何か。自分の不注意で子供のひとりが大火傷を負ったこと。それとも子供達の父親が全部違うこと。彼女に落ち度がなかったとは思わないが、それが彼女から全ての子供を奪い去ってしまう理由にはならないだろう。

 我が子を奪われた母猿が悲しみの余り死に、腹をさくと腸が細かくちぎれていたという「断腸」の故事がある。畜生ですら我が子を失えば悲しむのだ。この映画の主人公マギーの悲しみと怒りは、彼女の心をずたずたに引き裂いてしまう。そんな彼女を見守り、生活を共にし、傷を癒そうとするパラグアイからの亡命者ジョージ。幼い頃受けた父親の暴力のせいか、自分を殴る男しか知らなかったマギーは、ジョージとの生活で心の平安を見つける。新しく手に入れた生活はやはり不安定なものだが、それでも自分たちの手で小さな幸福を育んでゆこうとする二人。やがて二人の間には子供が生まれ、小さな家庭に暖かい光がさすが、この平和は隣人のいわれなき中傷と社会福祉局と裁判所に奪われてしまう。

 映画はマギーとジョージが出会い、結婚するところから始まる。彼女が過去に4人の子供を失った経過を回想として描くスタイルは、物語の語り口としてよく考えられたものだ。4人の子供を奪われた事実が物語の背景にあり、その上でさらに、生まれたばかりの赤ん坊が奪われる。福祉のためと称して差し出された手が、そのまま子供を奪い去る誘拐者の手になることをマギーは知っている。彼女にとって、福祉局は子供を盗む者どもでしかない。しかしそんな彼女の敵対心は、善意で訪れている福祉局の職員を逆に身構えさせてしまう。

 ジョージとの間に生まれた5人目の子供を奪われ、それでも子供がほしいと願うマギー。ジョージと私と子供とで、ささやかな家庭を築きたいのだと訴える彼女の声を誰がさえぎれるだろう。生まれた子供をまた奪われることを恐れ、妊娠をひた隠しにするマギー。子供の顔を見たいが、子供を奪われることを恐怖するマギー。今度こそ、子供を我が手にと願うマギー。陣痛の苦しみと子供を失う恐れとの間で揺れ動く彼女に、映画を観ているこちらは心から声援を送るのだ。がんばれ、がんばれと……。

 子供が生まれると、それを待ちかねたように福祉局が飛んでくる。彼女から子供を奪うことは、彼女が妊娠中から決定済みだったのだ。何たる非人間性。主人公たちの怒りと絶望は、そのままこの映画を作った人達の怒りと絶望でもある。二人が互いに手を差し伸べあい、それでも生きて行こうとする姿は感動的。最後の最後に残った、小さな希望の光だ。


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