リリー

1996/06/20 銀座文化劇場
孤児リリーと人形たちの語らいが切なくて胸を打つ秀作。
珍しくレスリー・キャロンの個性が映画の中で生きている。by K. Hattori


 『巴里のアメリカ人』のレスリー・キャロンが主演のMGM映画。これをミュージカルと呼ぶには少し抵抗がある。むしろほとんどストレートプレイと言って差し支えないだろう。何しろ挿入される歌は「ハイ・リリー・ハイ・ロー」1曲しかない。その分、幻想シーンでキャロンがバレエを踊るのが見所。このダンスシーンが愛らしく、キャロンの魅力がたっぷりと盛り込まれている。

 彼女がウエイトレスの制服を着て踊る場面は、彼女のつり上がった目と真っ赤なコスチュームがなかなか似合っていてよろしい。思いを寄せる奇術師を誘惑する踊りだが、彼女に全然色気が感じられないのは相変わらずなんだけどね。レスリー・キャロンは、いつまでも小娘役から脱皮できなかった女優だなぁ。エンディングで彼女が等身大の人形たちと踊る場面は、物語の中ではちょっと説明っぽすぎるんだけど、彼女が本当の恋に気がつくところをバレエだけで表現したのは意欲的だと思うし、実際主人公リリーの気持ちがよく伝わってきた。

 僕は『巴里のアメリカ人』や『足ながおじさん』のキャロンが苦手だったんだけど、この『リリー』に登場するキャロンは素敵だった。思うに、賛否両論ある彼女のしらけたゲハゲハ笑いが、ほとんど登場しなかったところが良かったんではなかろうか。あれが苦手な人は多いからなぁ。きっとこの映画の制作者達も、あれが気になってしょうがなかったに違いない。普通女の子は笑った顔が一番可愛いと相場が決まっているのに、笑うと駄目になってしまうキャロンは不幸だなぁ。まぁ、この映画はそんな彼女の不幸を逆手にとった映画かもしれません。

 映画は田舎から出てきた身寄りのない少女リリーが、女たらしの奇術師と、彼女に思いを寄せながらそれをうまく表現できない人形劇の座長の間で揺れ動くという物語。奇術師は表面上はリリーに親切なんだけど、言葉の端々に冷淡で不実な様子が垣間見られる嫌なやつ。人形劇の座長は何とも不器用な男で、自分の気持ちを人形の口を通してしかリリーに伝えられない。リリーも座長に対しては意地っ張りだけど、人形たちに対しては素直に自分の気持ちを話すことができる。虚構の中にある真実。

 絶望のあまり自殺しそうになったリリーに人形が話し掛ける場面は、映画を観ているこちらまで両者の掛け合いに引き込まれる名場面。この部分がうまく行かないと、映画が最後の最後まで嘘になってしまうものね。人形たちが命を吹き込まれ、リリーの友達になるこの場面が生きているからこそ、終盤リリーが座長に向かって「人形を使っているのが誰だかわかっていたはずなのに、人形に友情を感じた私が馬鹿だった」と言う部分が本当に見える。よくある筋立てなんだけど、素直に感動できる映画だ。


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