司祭

1996/08/22 銀座シネパトス1
実父から性的虐待を受けている少女を救おうとする司祭はゲイだった。
人間の罪と救済を描いたイギリス映画。by K. Hattori


 昨日観た『訣別の街』でダニー・アイエロが自殺する場面に使われていたロジャース&ハマースタインの名曲「YOU'LL NEVER WALK ALONE」が、この映画でもじつに印象的に使われていてクライマックスの感動を盛り上げます。この曲はP・ジャクソン監督の傑作『乙女の祈り』でもエンディングテーマとして使われていましたね。ロジャース&ハマースタインの曲はちょっと口ずさむには大仰で立派すぎるんですが、こういう使われ方をするとはまるんだよなぁ。心根がゆさゆさ揺さ振られます。

 映画はカトリックの司祭を主人公にしているから、僕を含む多くの日本人にとって、とっつきやすい素材とは言えない。僕もキリスト教についてまったく知らないわけじゃないけど、我が家はプロテスタントだからなぁ。カトリックについては映画を通じてある程度の知識はあったけど、この映画は最初から最後まで教会の中が舞台だから、カトリック教会内部での役職のランク付けとか、礼拝の作法とか、ちょっとわかり辛い描写もあった。まぁこんなことは、映画のテーマとはまったく関係ないんですが、少し知識があると映画の理解が深まっただろうに残念。こればかりは巡り合わせだからやむを得ない。

 この映画でテーマになっているのは、人間と罪の問題であり、罪の赦しの問題であり、罪からの救済の問題でしょう。主人公グレッグは、保守的だが真面目で熱意あふれる若い司祭。新しい教区に着任した彼の目から見ると、同僚の中年司祭マシューはふしだらで破廉恥な生臭坊主である。司祭という生き方に一片の疑問も持つことはないグレッグだが、彼は夜になるとゲイのたむろする盛り場をうろつき、行きずりの男とセックスする。

 カトリックの司祭は結婚はおろかセックスも御法度。ましてや同性愛などもってのほかだ。聖書が禁じた大罪を犯しながら、それでも敬謙に神に仕えるという矛盾した主人公の行動。他人の不正や不道徳に激しい憤りを持ちながら、自らは人に言えぬ秘密の罪を持ちながら生きているグレッグは、まさに人間の複雑さを一身に表わしている。下手な役者がこの役を演じれば、映画は一種のゲテモノに成り下がっただろう。しかしグレッグを演じたライナス・ローチの真摯なまなざしが、この映画を一級の文芸作品にしている。

 この映画の中には、観客に「奇跡」を見せるエピソードがふたつ用意されている。ひとつは近親相姦に苦しむ少女が救出される場面であり、もうひとつは主人公が少女と抱き合うラストシーンだ。神は人を救うとき自らは何もしない。人を救うのはあくまでも人間である。だがその向こう側で、神は確かに人間を見守っているらしい。観客がどう感じたかは別として、少なくとも主人公はそう感じたに違いない。グレッグは少女の行為を通して、神に受け入れられた自分を感じたに違いないのだ。

 監督のアントニア・バードはこの映画で注目されて、ハリウッドでドリュー・バリモア主演の『マッド・ラブ』を撮った。そちらを見逃していたことが悔やまれる。


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