スワロウテイル

1996/08/27 東京ビッグサイト(試写会)
東京近郊にできた移民の街イェンタウンを舞台にした青春ドラマ。
岩井俊二が虚構世界の中で才能を存分に発揮している。by K. Hattori


 上映時間2時間29分の大作。イベント会場のパイプ椅子でこの上映時間は辛い。多分映画館でも辛いだろう。僕は途中から時計を気にしつつ映画を観ていました。話の内容の割に映画が長いのは『Love Letter』と同じ。あの映画も1時間ぐらいの中編に収めれば傑作になっただろうに。今回の映画も、せめて2時間に収めてほしい。

 監督としては思い入れのあるシーンばかりだし、Macで作っているという絵コンテの段階で、編集の細部まで動かしがたいものになっているのかもしれない。でもそれに大ナタ振るうのが編集でしょう。言うまでもなく岩井映画の面白さや新しさはその編集センスにあるわけですから、シーンのひとつひとつはとてもよく考えられているし面白い。ただ時々はさまれる変に間延びしたカットやシークエンスにさしかかると、それまでの疲れが一気に吹き出す感じがする。僕はイェンタウンバンドの演奏シーンとか、アゲハが阿片街を歩くシーンなどが退屈でしょうがなかった。(監督は阿片街の場面がお気に入りとか。やっぱりそうか……)

 映画は東京近郊にできた移民の町イェンタウンを舞台に、中国語と英語と日本語のチャンポンを話すイェンタウンの住人たちを描く。現実にはあり得べからざる架空の街、架空の住人であることは映画の最初からわかっていることなのに、途中から彼らの存在がある種のリアリティを持ちはじめるのは、美術や演出の力も大きいが、それ以上に主人公グリコを演じたCharaの存在感による部分が大きい。フェイホンこと三上博史やアゲハこと伊藤歩だけでは、この存在感は出せなかっただろう。

 イェンタウンが民族言語風俗文化のごった煮であるのと同じく、それを描く映画『スワロウテイル』も雑多なエピソードのごった煮状態。全体としては夢をつかもうとした若者たちの青春ドラマなのだが、細部は幻想的な回想シーンあり、血まみれのバイオレンスあり、凄腕の殺し屋あり、戦争映画さながらの銃撃戦ありで、しかもそのどれもが一定の水準以上の出来栄え。岩井俊二という作家の守備範囲の広さを見せ付けてくれる。

 心優しい娼婦というキャラクターはハリウッド映画でもお馴染みのものだし、娼婦が歌手になるのは現実世界でもよくある話。物語を引っ張るのはChara演じるグリコだが、実際の主人公は彼女の妹分であるアゲハだし、映画の中に描かれているのはアゲハの成長ぶりでしょう。物語の冒頭に現れるアゲハの母親の葬式シーンが、巡り巡ってラストの伏線になっているのにはたまげた。

 物語の重要なキーになるシナトラの「マイウェイ」は、おしゃれな映画の中で、懐メロのミスマッチを狙ったものだろうが、結構はまってました。これは人生の終幕を迎えようとする男が過去を振り返る歌ですから、フェイフォンが死ぬ場面で画面に訳詞を出してくれると、もっと感動が盛り上がったと思うぞ。

 東京中の子供たちが陸続と古びたビルの屋上に千円札を持って集まる場面が、なぜかとても印象に残った。


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